とても長い前置きです。
初めてのウェブサイトは、1995年、パリ留学中に作りました。
当時マリ国内では紛争が続いており、多くの友人たちが命を落としていました。
そこで、何がマリで起きているのか、世界中の人にひとりでも多く知ってもらおうと、トゥアレグ問題についての英語サイトを作りました。
また社会問題だけでなく、トゥアレグの文化についても知ってもらおうと、トゥアレグの文化についてもページを作り、ティフィナグ文字(トゥアレグの言語タマシェク語の文字)のフォントを作成、配布したりもしました。
ありがたいことに、世界中から支援の問い合わせやフォントのダウンロードがありました。
1997年、大学院での研究の便宜のために作った西アフリカ関係のサイトの日本語のリンク集を公開しました。
これがサヘルネットのリンク集(現在改定中)の基礎になりました。
これによって西アフリカに興味を持ついろいろな人と、たくさんの新しいつながりが始まりました。
1999 年、マリでのフィールドワークをベースに、娘を主人公にした子供向けのマリの紹介サイトを作りました。
そこから、子育てと国際結婚という新しいつながりができました。
2001年末、諸般の事情から、長く暮らしたサヘルから日本に拠点を移しました。
それまで、日本で暮らすことは、夢にも考えたことがありませんでした。
帰国後しばらくは、生活の大きな変化に、西アフリカに行った時よりも、体も心もなじめませんでした。
今、日本に来て4年近く経ちました。
しかし、
未だに消えない違和感があります。
恵まれた医療、情報へのアクセスの利便性、ものの豊かさ、様々な娯楽など、日本の暮らしの恩恵は確かに感じています。
しかし、それでも、サヘルの日々に比べて何かが欠けています。
2002年、ブログを知りました。
澱のように心に溜まっていく違和感を表現できる手段を見つけた気がしました。
そこから、私のウェブサイトは、西アフリカの情報発信と、サヘルと日本のギャップの表現、というふたつの方向性を持つようになりました。
また、ブログによって、それまでとは違う、西アフリカを離れた新しい緩やかなつながりも生まれました。
2004年、ウェブサイトのサーバーが、ウェブとメールスパムで、負荷が掛かり、また利用可能な限界容量を超えてしまい、ウェブの更新だけでなく、メールの送受信もできなくなってしまいました。
時期を同じくして、日本での仕事と家庭のあり方に対して気持ちの整理が付けられず、悩みました。
そこで、しばらくウェブサイトの更新をやめることにしました。
多くの方たちにご心配をおかけしましたが、まず現実の世界の、自分と家族の暮らしをしっかりしたものにすることに力を注ぎました。
そしてしばらくして、何とかポジティブな姿勢を持てるようになりました。
それは、2004年7月から、マリの中学校に通う息子を日本に呼び、久しぶりに家族4人水入らずで2ヶ月近く暮らすことができたことが大きいと思います。
さて、このような流れで、5ヶ月ほど休止していたウェブサイトを再開しました。
この機会にサイトの構成を変更しました。
しかし、それをきっちり区別して書いていくのはとても難しい作業でした。
自分の中では、そして対象とするできごとやその考察は、上の三つが重層的に併存して、切り離せないものだったからです。
そこで、2005年6月、すべてを統合し、一番更新しやすいブログを中心としたサイトに変更することにしました。
肩肘張らず、自分のペースで、扱いやすい表現の機会と手段を与えてくれるブログの喜びを、素直に表に出していきたいと思います。
西アフリカのリンク集も、同じブログ・システムを使ってもうすぐ再開できそうです。
それから、8月中に子供向けのマリの紹介を作る予定です。
そして、マリ滞在者・旅行者向けの情報を少しづつ提供していこうと思っています。
考えてみると、サイトの移り変わりと、そこに書いたことは、私の心のカルテです。
そこには、変わらない何かと、変わりつつある何かがあると思います。
それを自分自身で見直すことから、自分の道を見つけていきたいと思います。
欲を言えば、そこから、息子や娘が暮らす日本やサヘルの未来も考えていきたいと、ちょっと大きなことも考えています。
そして、ここを読んでくださる方が、サハラ砂漠やサヘルやマリを、少しでも身近に感じていただければ、これに勝る喜びはありません。
何か共感できるもの、考えるきっかけ、あるいはちょっとした情報でも手渡せたなら、ぜひこちらにひとこと書き込んでください。