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2003年06月10日

ただ生きていることのしあわせ

あるメーリングリストで、明治生命の「あなたに会えて」というCMを教えてもらいました。

この blog を書きながら私が探しているものがそこにありました。

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コメント

人は愛し愛されるために生まれてきたのだと思う。

では、人は何のために生きているのか。
答えは一つではないと思う。
私達がおじいさんやおばあさんになって、『私の人生良かった』『生まれてきて幸せだった』とおもって息をひきとっていくため…ではないでしょうか。

だから私たちは『幸せを求める』のです。

桃李さん

> 日本にいると目の前にある幸せが見えなくなってしまうのは、幸せだから。

サヘルにいると幸せな時にしっかりそれが感じられるんですよ。
考えてみたんですが、サヘルでは生と死が日常として存在し、人の幸・不幸がとても身近にあるからかもしれません。
天空にある月は小さく、地平線にある月が大きく見えるようなものではないかと。

Ken Looさん

日本の暮らしは、自然との関係だけでなく、人間関係も希薄なのかもしれません。
日本にいると、仕事を離れた友人との時間が本当に少ないです。
子供たちの世代では、友人たちと過ごす時間が増えるようにしてあげたいと思います。
それから、日本にもバカンスが導入されるといいなあ。
家族や友人とじっくり過ごせますから。

ベランダに植えた花は、ちょっとでも管理しないとすぐに枯れてしまう。草原や道ばたの草なんかは、風に吹かれて倒されても、すぐに伸びてきます。大地の恵みから離れすぎたのは、生き物のなかで人間だけじゃないでしょう。先進国は特に自然を排除する傾向がありますね。なんでも管理、管理、管理。でも、日曜日子どもに約束したピクニックは、雨だけで中止せざるを得ませんね。屋根付きのショッピングモールに行けば解決するとか、そういう問題じゃないですよね。日本の閉塞感は、「サヘルの風」が吹かないからじゃないでしょうか。(笑)

何度もすみません(^^;

ちなみに、私が前述のように思うのは、いつも自分に足りない部分を感じているからです。そして、時々満たされたと感じるからです。その繰り返しの中で幸せを感じるのではないかと思いました。

日常生活をしていると、やらなきゃいけないことに追われて、やはり幸せについて考えたり、感じる時間が、少なくなってしまうのかもしれないですね。ゆとりの問題なのかなぁ・・・
うまく書き込み出来なくて、ごめんなさい(^^;

こんにちは(^-^)

日本にいると目の前にある幸せが見えなくなってしまうのは、幸せだから。じゃないかなぁ・・・と私思います。そういうことを考えることが出来る人は、素敵な心がある人だと思います。

足りないものがあると、あとで満たされたとき、幸福を感じますが、人間はただ、慣れていく生き物だと聞いたことがあるのです。

私にとっての幸せは、自分に対して人間としての健康的な誇りを持つことが出来て、死ぬまで生きることです。

そして、人を愛する感情があって、愛する人が側にいて、鏡のように、私に愛を返してくれることを感謝できる気持ちがあることです。そうすると生きてて良かったと思います。(^-^)

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