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2005年10月29日

「仕方ない」という優しさと諦観から

自分ができることを子どもができないと、「簡単なことなのに・・・」と思ってしまうことがある。
子どもはそんな親の雰囲気をとても敏感に感じとる。
そのプレッシャーや劣等感が子どもをどれほど傷つけることか。

一方で、自分ができないことだと、「できなくても・・・」と許してしまう。

自分が何でもできて、子どもにも優しい親であれたら、一番いいだろう。
でも自分にできないことがあるから、子どもに優しくなれるのなら、欠点ががたくさんある自分でも親として許される気がする。

カミング・アウトを読んで。
真夜中に書き込みしているので、ちょっと感傷的かも。

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コメント

コメントありがとうございます。

親は子どもに対して上から導いてあげる義務があるでしょう。

でも開発においては、外部のものがリードする必要はないと思います。
あくまで自己責任。
たとえば、他国への干渉や悪影響がある場合は、他国や他国の人間が、上からものを言わず、あくあで対等の話し合いを。
それが政治を離れた、参加型開発の姿勢だと思います。

ちなみにイスラム教だと、神の前では人はすべてドングリの背比べかな。

一緒の目線だと、一緒に迷うこともあります。
「上」が必ずしも悪いことだとは思いません。
「上」が悪いのは、見下した時。
「上」には遠くを見ることもできます。
...どうでしょうか?

上下関係はキリスト教的、横並びは仏教的な感覚に通じるところもありますね。

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