日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

3人の聾唖者

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あるところに聾唖のヒツジ飼いがいました。
ある日、何頭かのヒツジのがどこかへ行ってしまいました。
彼は、ヒツジを探しに出かけました。
彼は畑にやってきました。

畑では、女性が働いていました。
ヒツジ飼いは、女性に尋ねました。
「私のヒツジを見ませんでしたか?」
「もし教えてくれてヒツジが見つかったら、そうだ、お礼に足の悪いヒツジがいるんでそれをさしあげますよ」
しかし、その女性も聾唖者で彼の話は聞こえませんでした。
彼女は彼の身振り手振りから、
「あなたの畑はどこまで続いていますか?」
と訊ねられたのだと思い、
「あそこまでですよ」
と遠くを指さしました。
ヒツジ飼いは、迷子のヒツジたちの行方を教えられたと思って彼女が指さして方を探しに行きました。
すると幸運にも迷子のヒツジたちを見つけることができました。

ヒツジ飼いは、彼女のいるところまで戻ると、約束通り足の悪いヒツジを彼女にさしだしました。
彼女は、自分のせいで彼のヒツジがけがをしたと責められているのだと思い、必死で
「私のせいじゃないですよ!」
と説明しました。
ヒツジ飼いは彼女が、
「そんな足の悪ヒツジじゃいやだ、もっといいヒツジをくれ!」
と言っているのだと思いました。
「でも初めにちゃんと、お礼はこのヒツジだと約束したじゃないですか!」
彼は怒り出しました。
彼女は、彼が絶対に自分のせいでヒツジがけがをしたに違いないと怒っていると思いました。

そこでふたりは、公正に裁いてもらおうと裁判官のところへ行くことにしました。(何でここだけ意志が通じる・・・)
彼女はまだ幼い子供がいたので、放っておけずこの子をおぶって行きました。
ふたりの言い分を聞いて裁判官は言いました。
「いやいや、確かにこの子供は旦那にそっくりだ。間違いない!。この子はおまえ(ヒツジ飼い)の子に違いない。この子が自分の子だという事実をはっきり認めなさい!」
この裁判官も聾唖者で、ヒツジ飼いと女性が、幼い子供が彼の子供かどうかということを裁いてもらおうと思ってやってきたのだと思ったのでした。

ヒツジ飼いは、裁判官の話を聞いて自分の主張が認められたと考え、それでも彼女がそれを受け取らないのなら、何もあげる必要はないと裁判官が判断したと思い、足の悪いヒツジをつれて帰っていきました。

彼女は、ヒツジ飼いがヒツジを連れて帰っていったので、自分に非がないという主張を裁判官が認めてくれたのだと思い、満足して帰っていきました。

裁判官は、自分の裁きにふたりとも納得して帰っていったのだと考え、とても誇らしく思いました。

(トゥアレグの逸話「3人の聾唖者」)

3人とも自分の都合のいいように状況を解釈していますねえ・・・
この話は本当は、とんちんかんな受け答えをしてしまった時の喩えとして使われるお話ですが、ものさしの違いによる悲劇(あるいは喜劇)と受け取ることもできるなあと思い紹介しました。

自分の世界から出て、相手の価値観で世界を見るのはとても難しいことですね。
でも国際結婚をして、以心伝心なんて自分勝手なものさしの押しつけでしかない、真剣に対話することでこそ、夫婦の絆が深まっていくのだ、お互いのギャップをひとつひとつ確認していくこと、そして時にはそれが埋まっていくさまを見ることが、国際結婚のおもしろさ、幸せでもあると思っています。(先日書いた幸せの話にもつながりますね)
そして同じような作業は、旅行や国際交流や様々な機会を通して、私たちがアフリカの人たちと接する時に必要なのだと思います。
私たちとアフリカの人たちが3人の聾唖者のようにならずにすむように、もっと大きく言えばアメリカ合衆国を中心とした世界の危険も、武力という相手のものさしを叩き割るような方法でなく対話を通して解決することを願ってやみません。
(夜中に書いていたら話が大きくなってしまった・・・)

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このページは、Yoshinori FUKUIが2002年9月25日 17:35に書いたブログ記事です。

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