日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

かめの遠足(その2)

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昨日の続きです。

娘とかめの遠足を歌う度に、私もかめさんのように(強く楽しく)生きよう!と決意を新たにします(要するになかなかできない)。
でも同時に、かめさんがみんなと遠足に行けたら、それはまた楽しかったろうに!と思います。
そして、何とかならなかったんだろうかと、解決策を一生懸命考えました。

こうやって悩むのは、ブルキナファソでフランス語版「火垂るの墓」を見たとき(私にとってはそれがこの映画をの初見でした)以来でした。
「火垂るの墓」の時は、ショックが三日三晩ぐらい(もっと長かったかな)続き、その間ずっと悩んでいました。

話を戻して、かめさんの問題には、ある答を見つけ、うん!これこそアフリカの参加型開発に通ずる解決方法ではないか、と思いました(大袈裟かな・・・)。

かめさんにもっと早く家を出てもらう、というのが一番簡単に思い付く解決方法ですよね。
しかしこの方法はよくない。
よくないけれども、それはアフリカの開発援助においてもよくあるやり方だと思います。
要するに、地域住民の自発的意志・行動を促すといいつつ、こちらの都合を無理強いして、向こうの生活のリズムを変えてもらう、こちら側の身勝手です。
本当にそこに住む人を中心に考えるなら、彼らの都合にこちらが合わせた計画を立てるべきですよね。
というわけで、私の思いついた解決策は、

この状況において、一番弱者(lower)であろう彼(ジェンダー的配慮をするなら彼女かもしれません)の家を遠足バスの集合場所にする
ということです。

みなさん、どう思われますか?

でも、そうすると、このすばらしい歌はできなかったわけです。
そして、そうしたことが本当にかめさんにとってよかったのかどうか、実はわかりません。
そういう同情心的配慮こそが、実は彼を苦しめてしまうのかもしれない。
彼の強さ・明るさをスポイルしてしまうかも知れない。
あるいは、私には見えないほかの弱者がいて、別の悲劇を生み出してしまうかもしれない。
そう考えると、本当にマイナスの影響のない国際協力を行うのは難しいことだなあ、と改めて悩んでしまったのでした(おい・・・本題は国際協力じゃないぞ)。

「次の遠足の時は、『かめさんのおうちを、バスの集合場所にしてもいいかな?』とかめさんと彼(彼女)のクラスのお友だちに聞いてみたいね」
「かめの〜えんそく〜は〜」と歌いながら、こんな風に娘に訊ねてみたいと思いつつ、その言葉を飲み込みます。娘が自分の答えを思いつく日まで。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2002年9月 4日 16:56に書いたブログ記事です。

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