「SAHEL BLOG」の方で、なぜ、住んだことのないコートジボワールの事件を何度も取り上げているのか。
2002年10月アーカイブ
アビジャン地区の知事は4日、多くの外国人(ブルキナ人を初め近隣諸国からの出稼ぎ)が多く居住するアビジャンのスラム街を一か月以内に完全に取り壊すと発表しました。これに対してUNHCRは8日、さらなる外国人の難民化を危惧しその延期を依頼しています。犠牲者が増えませんように。
今日は涼しい風が吹き、雲ひとつない青空が広がっていました。
ずっと見つめていると星が見えそうなくらい深くきれいな空でした。
雲ひとつない青い空は、懐かしい空でした。
サヘルでよく見た空でした。
乾燥したところですから、雲のない青空は日常風景でした。
でも夜になると、日本の空はサヘルの空とずいぶん違っていました。
ニジェール政府は、女性や子供を優先して、バスでできるだけ多くのニジェール人を本国へ送還させることにしたと発表しました。コートジボワールにはおよそ7万人のニジェール人がいるそうです。
日中も暑さがずいぶん和らいできましたね。
夜風はずいぶん涼しくなってきました。
意外かも知れませんが、秋から冬にかけての冷たい風は、夏の日差し以上にサヘルを思い出させてくれます。
10年以上前、日本から遠くマリのフィアンセ(今の妻です)の事を考える時は、よく車の窓を開けて耳を切り頬を叩く風を受けて、サヘルの日々を思い出していました。
今日は娘の運動会でした。
娘は、緊張のあまり、家と、車の中と、幼稚園で、もどしてしまいました
負けん気が強く、そのくせ走るのが速くない娘にとって、今日の徒競走は、自分の人生で一番最初にぶつかった壁だったのかもしれません。