サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

ある鍛冶屋の物語

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テランガ(歓待)のシンボル、チェブジェン(魚と野菜の油炊き込みご飯)

精一杯のもてなしの気持ちが、料理を一層おいしくする。

昨夜は遅くまで起きていたが、まだ暗いうちに目が覚める。
まだみな寝ている。
暗くて、どこに水の入ったヤカンがあるのかわからない。
プラスチックのヤカンは見つけたが、どこに水を流していいか勝手が分からない。
仕方がないので、門を開け、家の外に出て顔や手を洗う。
礼拝後、またひと眠り。

日の出過ぎに起き、みんなでヒツジの肉汁とフランスパンの朝食。
まずはパンを肉汁を浸けて食べる。
肉汁が少なくなると、肉に齧り付く。
この朝食は懐かしい。
帰ってきたなあ、という気持ちになった。

日本から在セネガル日本領事館に電話したところ、息子は同席せず、彼の日本の査証を私が代理で申請できることになった。
そこで、息子のパスポートと写真をマリからダカールに住む日本人の親友宅に送らせてもらった。
安全、迅速、確実な方法とDHLで送ってもらうはずだったが、サヘルらしい手段で親友のところに着いた。
そう、バマコからダカールに行く人物にパスポートが託され、託された人物が親友に電話し、直接手渡しされたのだ。
朝一番で彼に電話。
自宅の場所を聞き、タクシーで向かう。

タクシーを降り、教えてもらった通りに着くが、目印のヤシの木が分からずもう一度電話。
モロッコでもそうだったが、日本のDoCoMoの海外対応の携帯がセネガルでも問題なく使えている。
便利になったなあと思う。

彼が通りまで出てきてくれた。
数メートルのヤシの木を想像していたら、家の前にあったのは1メートルくらいの鉢植えだった。
彼の新居を見せてもらう。
住居の一部を改造し、クールなサイバーカフェ(インターネット・カフェ)になっていた。
その隣では電話・ファックス、コピーサービスも運営中。
ダカールに少しずつ基盤を築いているなあ。
私もバマコにもう少し投資しようかな。

息子の査証申請の手続きがあると、残念だが短い時間で彼に別れを告げ、またタクシーを拾って大使館へ。
窓口で領事館査証申請用紙を受け取っていると
「○○さん」と呼び止められる。
大学院の後輩だった。
申請用紙を書きながら、近況を尋ね合う。
マラリアのため上京し、入院していたとのこと。
退院し、大使館に挨拶にきたところで、これから村に帰る予定だと言う。

申請用紙とともに、不備のないようにとこれでもかと準備してきた沢山の書類とパスポートと写真を提出。
領事に、義母が亡くなりできるだけ早くマリに行きたいと述べると、特別な措置をして頂き、その場で査証を戴くことができた。
本当にありがとうございました。

漁村の人類学的調査をしている後輩に、「午後は漁業関係者に会う予定なので、時間があったら一緒にどうか」と誘う。
お世話になっている友人宅に戻り、一緒に昼食を食べる。
友人の奥さんが腕を振るったセネガル料理のチェブジェンだった。

昼食後、モロッコでお世話になった女性に紹介してもらったセネガル人と待ち合わせ、彼の車で彼の家に。
午前中は忙しいので昼過ぎに、と待ち合わせをしたのだが、彼の家では豪華な料理が準備されていた。

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私たちがまだ昼食をとっていないと思ったらしい。
彼自身、まだ昼食を食べていないとのことなので、断るのも悪かろうと、彼の家族と2度目の昼食を食べる。
彼は昨日これまで勤めていた港の会社の仕事を辞めたところだと言う。
スペイン人と共同で会社を興し、漁船の船主になり、今日がその第1日目なのだそうだ。
彼が仕事の準備をしている間、しばらく居間で休ませてもらう。

夕方、彼の車で港へ向かう。
彼の船を見せてもらい、それから海外に水産物を輸出している会社を数社訪問。
残念ながら期待するものと情報は得られなかったが、電話してもらったある人物からおもしろそうな話が聞けた。
後輩と私の知人の家に戻り夕食をとる。
それから後輩は、村へ向かうというので、家の外まで送る。

夜遅くまでお茶を飲みながら、妻とともに友人夫婦の話を聞く。
夫の方は、以前から比べると驚くほど痩せていた。
病み上がりだという。

現ワッド大統領になり、ダカールの町が大きく変わりつつあるが、彼は大統領の政策に批判的だった。
魚市場Soumbediouneの近くのインフォーマルな店はすべて取り壊された。
立派な海岸通りを造るための工事は長い間終わらず、旅行者相手にトゥアレグの金属細工や革細工の土産物を作って売っていた彼は仕事がなくなってしまった。
そこで彼は、仕事を求めてモロッコに渡った。
モロッコで金属細工や革細工の仕事をした。
しかしモロッコに、マリ人はビザなしで3ヶ月しかいられないことを知らなかった。
摘発され、仕事を追われ、国に帰るためアルジェリアに向かった。
しかしその途中、強盗に襲われ、身ぐるみ剥がされただけでなく大怪我をした。
何とかセネガルに戻ったが、やっと動けるようになったのはつい最近のことだと言う。
かつてテレビや長椅子のあった居間には、居間は何もなかった。
絨毯とマットレス、それに近所から借りてきてくれたらしい扇風機。
それだけの部屋だが、精いっぱい私たち家族をもてなそうという気持ちに満ち、居心地はとても良かった。

日本にいる時から、窮状を伝え聞いていた。
だから妻と相談し、いくばくか手渡すことにしていた。
しかし、一方的な行為は貰う方も心苦しかろうと、窮状の中敢えて二晩世話になった。

娘はトイレ兼シャワー室を夜になると徘徊するゴキブリにびっくりし困っていた。
しかしトイレも家の中も、決して掃除されていない汚さではなかった。
ただ、Gueule Tapeという庶民地区のため、排水が行き届かず、雨期の雨が家の外の道路が溜まったままになっており、家の外に出ると悪臭がした。
これには私もちょっとたじろいだ。
また雨期のため、マラリアを媒介するハマダラ蚊を危惧したが、思ったより蚊は少なかった。
何より友人が用意してくれた扇風機のおかげだろうし、日本から持参した携帯用の蚊取り線香と虫除けスプレーも役に立ったのだと思う。

ダカールの二日目の夜が更けて行った。

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コメント(10)

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貧しいから、不便だから、助け合う気持があるんでしょうね。
日本では便利と引き換えに人とのつながりが薄くなっていきます。
金銭的には貧しくても、人を思う心の豊かさ、優しさに感動します。

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新しいタイトル、詩的でかっこいいですね(^-^)
ヤシの木が目印と読んで、さすが異国だ!と思ったらドコモが使えると聞いて笑いました。
ダカールの夜、目を閉じると情景が浮かぶような素晴らしい記事ですね。
ケガをされた友人のお話は手に汗を握りました。
こんな渋い表現力を持った日記を僕も書きたい(笑)

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数ヶ月前、友人に勧められて読んだ「ワイルドソウル」という小説を思い出しました。
小説の方はフィクションなんですが、政府に騙され移民した日本人の実態が史実に基づき書かれていてjujubierさんの書き込みとダブって見えました。
面白い本でしたので、もし、未見でしたらお試し下さい。(笑)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344407660/sr=8-3/qid=1157935370/ref=sr_1_3/250-3160067-6959410?ie=UTF8&s=gateway

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こんにちは。私もふか~い小説を読んでいるような錯覚を覚えながら、珍しく、シリアスな気分で読んでいました。やはり、それなりの配慮や気配りが、自然と出来る方で、相手にも負担を軽減させて、お互いの出会いを一つ一つ大切になさっている日頃のポリシーの様なものも感じるとる事が出来ました。おそらく、様々な、葛藤は、もうとっくの昔に卒業されたと推測いたしました。だから、フォトログでみられるような、ポートレートの撮影も、、、うわっぁぁぁぁぁ、、!!

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biwakokayoさん、
・助け合うこと
サハラの遊牧民に限らず、西アフリカの人たちのつながりとネットワークは「濃い」です。
時にそれは堪え難い「しがらみ」にもなります。
それでも、そこで生きて行くには、その中に身を置かないわけにはいきません。

・心の豊かさ
ぶっちゃけ彼らには、私たちの金銭的援助への期待は少なからずあったでしょう。
しかし、私たちが何もしなかったとしても、彼らが私たちをできる限りもてなしてくれたであろうことは間違いありません。
それは、「もてなし」は古い知人である私たちへの欠くべからざる敬意の表れであるだけでなく、遊牧民の社会においては、見ず知らずであっても「旅人」への義務だからです。
この義務は、本来、他人の目や批判に左右されるものではありません。
神の前で恥ずべきことをしていない明言できるか自分自身に問い、自発的に行うことです。
まじめな彼ら夫婦は、遊牧民の倫理をしっかりと守って生きています。

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さこやん、
アラブ首長国連邦、モロッコ、セネガルで使え、DoCoMoに感心しましたが、肝心のマリでは使えませんでした(涙)
帰ってから調べてみると、Vodafoneなら大丈夫みたいです。

日記は、個人的な思いが強過ぎて重過ぎるかな、と悩んでます。
悩んでますが、書きたいことは沢山あるのでこのまま行きます(笑)
お付き合いください(笑)
しかし、いろいろ書きたいマリまでなかなか辿り着けません。
セネガルでは写真もあんまり撮っておらず、あと数日分は文章ばかりになりそう・・・

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inamokuさん、
ワイルドソウルは随分前に書評を読みましたが持ってません。
結構ボリュームがありそうなので、今買ってはまると、ブログが更新できなくなるので、今度の出張直前に買おうかと思います。
そして新幹線か飛行機の中やホテルで読みたいなと思います。

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かよちん、
冗長で読みにくいと言われず、ホッとしました。

私たち夫婦は、ダカールの友人夫婦同様、神の前に立たされて恥ずかしくない(=死に際に後悔しない)人生を送りたいと思っています。
それがちゃんと実践できていればいいのですが。

トゥアレグ社会は、80%のしきたりと、10%の敬意と、7%のアイロニーと3%の毒(嫉み・嫉み)でできています。
(このレシピは、たけやんの部族とずいぶん違うかもしれません)
私たち夫婦は、80%のしきたりと、15%の敬意と、5%のアイロニーで生きて行きたいです。

うむむむむ、最後の驚きは何でしょう?(汗)
何はともあれ、今回のマリ滞在後半のポートレートにはご期待下さい!

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写真も文章も全てが新鮮で興味が尽きません。
jujubieさんの書きたいように書いて下さいね、まだまだマリにたどり着かないと言う事で
むしろこれからの楽しみが増えましたよ〜(^-^)

ところで幻のレンズを求めてタイの奥地にたけやんが消えてはや1年・・・
月日が流れるのは早いものです。
コレ読んだら怒るな、たけやん(笑)

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さこやん、
たけやんはなかなか帰ってきませんねえ。
タイを満喫して、写真をたくさん撮って、元気に帰ってきてくれると嬉しいですが・・・
何でもできるから、業務外、時間外の仕事もいろいろ頼まれて、まったく観光せずに過ごしているかも。
たけやん、早く帰ってこないと、言いたい放題言われちゃうよ〜〜〜

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年7月31日 12:05に書いたブログ記事です。

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