8月5日から12日までの一週間は、毎日弔問客を迎えながら同じような日々を過ごした。
そこで、この間については毎日の日記という形でなく、
・葬儀とその後の儀礼
・弔問客
・バマコの様子
・家族の様子
という4つの視点から振り返ってみたい。
まず今回は、母の葬儀とその後の儀礼について。
葬儀
私たちが着く前に行われた葬儀は、イスラム式のごく普通のものだ。
母は病院に着く途中で亡くなった。
病院で、姉(長女)や妹、親類の女性が彼女の遺体を洗い、無地の白い布で包んだ。
白い布に包まれた遺体は自宅に運ばれた。
自宅の前の道に幾張かのテントが張られ、そこで葬儀が行われた。
イスラムの知識の豊富な一番年長の母の親類が礼拝の導師になった。
葬儀の礼拝は普通の礼拝と違い、跪かず立ったままで行う。
礼拝後、遺体は墓地へ運ばれた。
墓地へ向かう車は10台以上だったという。
遺体は、決まりに従い、右脇腹を下にし、顔をメッカの方向(マリでは東)に向けて寝かせて埋葬された。
マリでは、葬儀の帰り道は、往路と同じ道(少なくとも同じ足跡や轍)は通ってはいけないとされており、別の道から家に戻る。
そして葬儀後、参列者にできる限りの食事と飲み物が振る舞われた。
葬儀後の儀礼
イスラムは、新しく意味を付加する可能性のある儀礼はできる限り避ける傾向にある。
そのため、葬儀後に義務的な儀礼はない。
しかし、マリでは多くの場合、死後七日目頃に集まれるものがあつまりコーランを詠む。
コーランの詠めないものは、それを聞いている。
わが家には、葬儀の礼拝で導師をしてくれた母の親類と、その他ふたりが、一週間後から数日間コーランを詠みに来てくれていた。
私もほんの数章だけだが、心を込めて詠んだ。
死後40日目に追悼の集いを行う場合もあるようだが、それは私たちがマリを離れた後のことになる。
コーランを詠んでくれた3人には、義務ではないが感謝の気持ちを示したいと、できる範囲でお礼を渡した。
ウシは、首都の中では高かったので、数10kmは慣れた町まで買いに行き、そこで首を切って殺し、大まかに解体して車に乗せて家まで運び、改めて家で細かく解体した。
車から、しばらく血の匂いが消えなかった。
解体作業は、見慣れた者には食欲をそそる光景だが、見慣れぬ日本人にはかなり凄惨な情景だろう。
私もヒツジやヤギの解体は見慣れているし、自分でも数えきれないほどやっている。
しかし、ウシの解体は数度しか立ち合っておらず、大きな頭を割る作業を見るのは初めてで、さすがに驚いた。
(これを見て気分が悪くなった方がいらしたら失礼)
その他、弔問客が多いため、ほぼ1日1頭のペースでヒツジを買ってきて自宅で捌いた。
(2枚目はEF50mm F1.4 USM +5D)
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写真で見ると牛さんもそれほど怖くないですが、
現場だと血の色、や匂いもあるでしょうから
慣れていないと見れないかもしれません。
しかし、そんなことを言っていられませんね。
ここで生活する限り・・・。
亡くなられて・・・埋葬までの間に、
お通夜みたいなのはあるのですか?
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biwakokayoさん、
ウシの頭、モザイク掛けようかとも思ったのですがあえてそのまま載せてみました。
失礼しました。
遠くから来る親類・縁者が葬儀に間に合うようにと、一日二日病院で遺体を保管してもらうことがあります。
その場合、葬儀までの間に弔問客が訪れ、お通夜みたいな感じになります。
でもそれは、腐敗防止の処置のできる町でのみです。
遊牧民の暮らしでは、亡くなったらすぐ体を洗い、布に包み、礼拝をして墓地へ、とその日のうちにすべて終えます。
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牛は新鮮な内に食べるよりある程度寝かせる方が旨いといいますが、解体後すぐに食べてしまうのでしょうか?
弔問客の皆さんへの振る舞い大変ですね。下世話な話で恐縮ですが、それらの費用は当家が全て負担になるのでしょうか?
弔問者の方々もご香料の様な形でいくらかの出資があるのでしょうか?
日本で牛と羊を何日にも渡って解体していたらそれだけで破産しそうですね。(^_^;)
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inamokuさん、
肉は確かに数日置いておく方がうま味が出ます。
ウシもヒツジも、解体してまず食べるのは、内臓です。
家族だけなら、肉は翌日以降に食べます。
でもお客さんがいる時は、内臓の後で肉も出てきますね。
お客さんに振る舞う時、新鮮な肉も焼くのは、味は二の次で
「みなさんのためにウシ1匹、ヒツジ1匹使っているんですよ!」
という態度を示す意味も大きいのかもしれませんね。
ニジェールとか、ウジが湧く乾かないくらいのぎりぎりまで寝かせておく、というところもあります。
ギリギリのはずなのに
「あ、ちょっと遅かったか」
という時もあり(涙)
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inamokuさん、続きです。
「持てる者が持てない者に施すべき」という社会ですので、今回私たちが多くの費用を出しています。
しかし、ほかの家族ももちろん出来る範囲で費用や作業分担をしていますよ。
現金でなく、ヒツジを香典として送って下さったり、持ってきて下さった方も何人かいらっしゃいました。
義母の甥(といっても結構年配)からは、義母の面倒を見てくれたお礼にと言って、2500平米の土地を貰っちゃいました。
でも首都から千kmくらい北の砂漠の中の町の土地なんです・・・
すぐには使いようがない。
しばらく寝かせておきます。
買ったウシは約2万円でした。
ヒツジは1頭4千円〜5千円くらいです。
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そちらの方々は太っ腹ですね。(^_^;)
やっぱり日本のようなセコセコとした国で育った者とは違いますね。
牛が一頭2万円で羊が5千円ですかぁ・・・・。
日本で肉屋さんすればあっという間に大富豪!!
あー、どこでもドアが欲しい。(笑)
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inamokuさん、
向こうの遊牧民に、
松阪牛、1頭3千万円とか、
一坪1億円の地価
といったら、
「日本人はものの価値を知らない」
「汗水垂らして得た金を何に使っているんだ」
と言われます。
実は、このカメラとレンズもあわせるとも*00,000円
って言えない・・・
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この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はいない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
オマル・ハイヤーム作 『ルバイヤート』より
オマル・ハイヤームは、私が最も敬愛する詩人の1人です。
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オマル・ハイヤーム、諸行無常の詩が多いですよね。
幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。
われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!
君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚(つか)の上には一基(もと)ずつの瓦(かわら)が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽(く)ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。
ところで、ハリール・ジブランをご存知ですか?
次の投稿で彼の著書から引用したいと思います。
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ハリール・ジブラン、もちろん、存じ上げております。
引用、楽しみにしております。
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ハリール・ジブランご存知ですか。
知っている日本人の友人は少なくいので嬉しいです。
引用したのは、おそらく一番有名な本の一番有名な部分なので、よくご存知でしょう。
フランス人の友人から、初めてプレゼントされたフランス語の本がこれでした。
ちなみに2冊目はル・クレジオの『砂漠』
英語の本だとポール ギャリコの『スノーグース』
あの風景を見ようと、エセックスの浜辺まで行きました!