サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

バマコの日々と家族

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妻の異母弟が軍事警察を卒業した記念写真

いよいよバマコ4部作(葬儀、弔問、町の様子、暮らし)の最終回。

弔問を受ける一日の様子と家族を紹介。

一日のリズム

日の出前に起き、礼拝。
カメラを持って近所を散歩。
戻ると6時過ぎに、男だけで居間で朝食。
たいていは、ヒツジの肉スープとフランスパン。

d0087256_1639461.jpgそれからお茶を飲みながら女達も交えしばらく歓談。
ここで冗談を言いながら過ごしている時は悲しみが少し軽くなった。
息子がおいしいお茶を入れてくれるようになっていた。
息子はここ2年ほどで急に背が伸び、私より大きくなってしまった。

8時過ぎに徒歩で近くのサイバー・カフェ(インターネット・カフェ)に行く。
サイバー・カフェは、パソコンの持ち込みもOKだった。
使い慣れたMacを持ち込み、LANに繋いで日本からのメールを見たり、ウェブサーフをしたりして小1時間過ごす。
料金は、1時間500 F.CFA(約100円)。
回線もそこそこ太いようで、ストレスのない速度だった。
町中のサイバー・カフェはどこも流行っている。
多くの若者がYahoo.frのアカウントを持ち、メールのやり取りをしている。

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9時過ぎに家に戻ると、弔問客が訪れ始める。
居間や、建物の西側にあり、午前中は涼しいテラスやガレージに椅子を出し、ここで弔問客と過ごす。
用がある時は、午前中に用を済ませられるよう、できるだけ早い時間に車で出かけた。
マリの組織は、お役所も民間も非常にスピードが遅い。
要領良く行動しないと1日ひとつ用を済ませることさえ難しい。

昼になると、大勢の親類や客と居間で昼食をし、それからお茶。
弔問客や家族と過ごしながら、その合間に2度の礼拝。

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3時過ぎ、陽射しが和らぐと、家の中でなく通りまで椅子を出し、女達も一緒にここで過ごした。
あるいは建物の東側に小さなテラスがあり、風も通り、夕方はここの居心地が良く、男だけでここで過ごすことも多かった。
弔問客がいない時は、雑用などで外出したり、もう一度サイバーカフェへ行ったり。
そうこうするうちに日没となり礼拝。
導師として大勢の男や女たちを従えて礼拝するのは、いつまで経っても慣れない。

夜になると蚊が出てくるので、天井に大きな扇風機の着いた居間に入り、ここで眠くなるまで過ごした。
テレビはあるが、見ることはほとんどなかった。
いつも弔問客や家族と話をして過ごした。

妻は、姉妹弟や親類との久しぶりの時間をとても喜んでいた。
家族と過ごし、笑顔がこぼれる妻を見ていると、胸のつかえが下りていくようだった。
家の中を一生懸命切り盛りしていた。
母の治療費に、そしてもっと母が過ごしやすい環境のところに引っ越せないかと持ってきた金は、一部は家族の生活等し、残りは将来の息子のための土地と家を買う資金にしようと話し合った。
そうと決まると、妻は目標ができたせいか随分元気を取り戻し、早速適当な家がないか探し始めた。
結局、よさそうな土地と家は、値段が高かったり土地の権利が不透明だったりして、決まらなかったが、老後に自分たちも住むやも知れず、じっくりと探したいと思っている。
しかしバマコの土地と建物の価格変動を聞くと、バブル期のようだ。
その高騰の仕方には驚く。
しかし、バマコ周辺の造成・開発の様子を見るとまだしばらくはこの状況が続くだろう。

弟夫婦と妹

d0087256_16413266.jpgここ何年か、ずっと母の看病をしてくれていた弟夫婦と妹には、大きな負担をかけてしまった。
とりわけ、歩くことも不自由な母のあらゆる世話をしてくれていた妹には、いくら感謝の言葉を述べても足りない。
妹は、身も心も疲れ果てた上、気が抜けたようになったいた。
しばらく休んで、早く元気になってもらいたい。

d0087256_16421681.jpg弟の妻に今回初めて会った。
結婚した時は13歳、今16歳・・・
弟の妻とはいえ、自分の娘を見るような心境。

遊牧民の社会ではいとこ婚や10代前半の結婚は珍しくない。
一方で、都会に住む家庭や高い学歴の女性の場合、20代後半で初婚というケースも珍しくなくなってきている。
10代前半の結婚はさすがに形式的なもので、一般に夫婦生活は数年後のことが多いと聞く。
トゥアレグの女性は、成人する頃になるとベールを被るが、結婚していてもこの位の年齢ではしていないことも多いようだ。

彼女の父は、私も良く知るイスラムの造詣が深い遊牧民。
妻のいとこにあたる。
彼も今マリ北部の家(テント)で、亡き母のためにコーランを詠んでくれているという。
最近まで私のウシたちの面倒を見てくれていたのも彼だった。
しかし高齢となり、病気がちで、親類に私の家畜の世話を託したと聞いた。
今回、北に行く折に是非彼に会いに行きたい。

娘は、兄や同年代のいとこたちといろいろな遊びを楽しんでいた。
日本にはないルールのトランプゲームもいくつか覚え、勝った負けたと一喜一憂しながら熱中していた。
娘が日本から持って行ったDSは、マリの子供たちにも大人気だった。
自分が遊ぶ時間が全然ないとこぼしていた。
しかし帰る時に、驚いたが良く一緒に遊んでいたいとこにDSを手渡していた。
大好きなDSをあげる気になるくらい仲良く遊べたんだな、と嬉しかった。

娘は、小さい時はバマコにいると、よくケーキ屋に行きたいとせがんだが、どうやら今回ケーキ屋は卒業したようだった。
それより兄やいとこたちと、ホテルのプールに行くのが一番の楽しみだったようだ。
ホテルのプールには数回出かけていた。
また、リュナ・バーク(Luna-Park)という遊園地に2度、私と息子と動物園にも1度でかけた。
時々、食欲がなさそうな時があったので、町中の中華料理に2度、ホテルのフランス料理に1度連れて行った。
中華料理と言っても実際はベトナム人がやっているベトナム料理なのだが、娘はNem(揚春巻)が大好物で、これがあるととても嬉しそうな顔をしていた。
妻もこれが大好きだ。
好みは似るのだろうか。
マリ料理では、娘は北部の郷土料理ファカホイ(モロヘイヤのこってりしたスープを白飯に掛けて食べる)が大好物で、これにウシのバターをかけて喜んで食べていた。

食事

今回バマコで食べたのは昼食・夕食の主な料理は以下の通り
・マカロニ
・アレバッジャ(遊牧民の肉丼)
・ザメ(マリの香辛料を使った油炒めご飯)
・ファカホイ(モロヘイヤのソースの白飯掛け)
・ト(雑穀のそばがきにオクラソースと肉・トマトソース掛け)
・ラーホイ・マーフェ(オクラ・ソースの白飯掛け)
・マーフェ・チレイ(トマトベースの野菜ソース白飯掛け)
・ウィジラ(蒸しパンと肉スープ)
・ディガダゲ(ピーナッツ・ペーストのソース白飯掛け)

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朝食では、定番のじゃがいも入り肉スープのほか、ヒツジの脚の煮込みを何度か食べた。
(ヒツジの蹄、わかりますか→)
私の大好物だが、残念ながら日本では材料が手に入らずめったに食べられない。
今回は、弔問客のため毎日ヒツジを捌いたので、この好物を食べる機会にも恵まれた。

また副食では、ビート(サトウダイコン)を使ったサラダもリクエストして何度か食した。
日本で地方に住んでいると、缶詰め以外のビートはなかなか手に入らない。

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そのほか、マリ風ミントティー、ミルク、ヨーグルトなどを一日数回飲んでいた。
ビニール袋に入った200mlほどのミルクや甘い飲むヨーグルトは一袋125 F.CFA(約30円)。
今回も、バマコについて何をおいても真っ先に買ったのが、このヨーグルトだった。
これが飲めれば食事がなくてもいい、と思うくらいおいしい。
大げさでなく、バマコでの私の大きな喜びのひとつだ。

近所の寸描

d0087256_16471651.jpg家の前の通りで近所の子供とサッカーをするいとこ

d0087256_16474791.jpgこのあたりに多い鉄分が多いラテライトの土層は、固いのでこんな風に切り出しの階段が作られているところもあった。

d0087256_1649683.jpgユーフォルビア(Calotropis procera)の花。
ソドムのリンゴともよばれるこの潅木は、ほかの樹木が生えないような荒廃したところにも生える。
バマコのラテライトの土壌でもこの木は元気に芽吹いていた。
大きなマンゴのような実がなるが、中は紙風船のようにほとんどが空気で、タンポポの綿毛のような光沢のある羽毛のある種子が入っている。
家畜も、花は食べてもこの木の葉はほとんど食べない。
この木の樹液は白い乳液のようできれいだが、目に入ると失明する恐れもあると言う。
その毒は裏返って薬としても使われる。
バリ島でこの木を見て、こんなところにもあるのかと驚いた記憶がある。

註)冒頭の写真を置き換え、文章も一部手直した。

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コメント(19)

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2枚目が息子さんですね。
手足が長くてかっこいいです。
お顔が見たい。(笑)
妹さんも理知的で美人ですね。
服のセンスもいいし・・・。
若くして結婚するのは南の国では珍しくないですが、
結婚したてはまだ子供みたいでホームシックにかかりそうな気がしますが、大丈夫?でしょうか。(笑)
このサラダはおいしそう。
私はこのサラダだけでお腹が一杯になります。
赤いビートは酢で漬けられたものがビュッフェスタイルの時並んでいて、これは好きです。
ここのお皿のは生ですか?
それにしても毎日メモ、日記を付けていらしたのでしょうか?
整然と整理された文章に驚きます。

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biwakokayoさん、
息子の顔はそのうち(笑)

国や民族によらず、親元を離れ嫁ぐのは寂しいことでしょう。
でも幼い頃から知っている、おじ・おば、いとこたちがたくさんいるバマコですから大丈夫なのでしょう。
それに毎年里帰りもしています。

サラダのビートは茹でたものです。

毎日いろいろ記録してました。
文化人類学を学んでいたものの性・・・
いや、本音は、これもあれもブログのネタになるなと(笑)

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むやみに新しい事をせずに古いしきたりに生きているのかと思えば、インターネットカフェが流行っているとも・・・・。
やはり若者は時代の流れに乗って行くのでしょうね。
10年後、20年後は、しきたりも薄らいでしまうのでしょうか?

あー若い綺麗な嫁さんかぁ。ええなぁ。(^_^;)

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inamokuさん、
インターネット・カフェより驚いたのが携帯の普及。
定収がない人も多いので、月末請求はリスクが高いので、プリペイド式ばかりですが、中学生でも持ってたりします。
都会の変化は日本以上かな。

> あー若い綺麗な嫁さんかぁ。ええなぁ。(^_^;)
日本人でもマリで15歳の奥さん貰った人をふたり知ってます。

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こんばんは。はじめまして。
いつの間か、写真がカラーになっていてビックリしました。
とっても色鮮やか!
Jujubierさんと書いてジュジュビエ〜ルさんとお読みすればいいんですか?
(これって、おふらんす語ですか?)
一枚目の写真に出ている女性、女の子とっても可愛いですね。
弟さんの奥さんは、とってもビッジーンだし。

SECRET: 0
ハムちゃんのママさん、
はじめまして!
はい、jujubierはフランス語でナツメの木のことです。
最後のrはほとんど聞こえないのでジュジュビエでいいです。
ここ以外ではjujube(ジュジュブ)というナツメの実を意味するハンドル(ニックネーム)を使っていますが、エキサイトのアカウントでは既に使っていらっしゃる方がいて(涙)、jujubierにしました。
1枚目の写真の左端の女性は、後にも出てくる弟の妻、女の子は私の娘です。
これからもよろしくお願いします。

SECRET: 0
えーーーっ!?
一枚目の写真の右側の可愛い女の子、ジュジュビエさんの娘さんだったんですかーー!?
ハーフだからでしょうか。すごーく可愛い子ですね。
楽しみですね〜。
お父さんの祖国、日本には遊びにいらしたことはあるんですか?
どんな印象を持つんだろう???
バイリンガルもそうだけど、バイカルチャーを持てる人って、とっても羨ましいです。

SECRET: 0
娘さんは、お父さん似でしようか?心豊に成長されて何よりです。
何といっても、美しい!素晴らしい事です。
そちらでの礼拝の事情は全くわからないのですが、一日に数回とか決まりがあるのでしようか?
以前、ミャンマーから来た学生は、朝夕の二回でした。
まっ、彼とは帰国してから連絡がとれていませんが、、、。
お国の事情がいろいろとあるようで、、。彼は、3歳で、出家して一生、結婚は出来ないと言っておりました。また、シャワーの習慣もなく、川で体を洗っていたと言っていました。私たち家族にはかなりのカルチャーショックでしたけど、、。
jujubeさんが、初めてこの地を訪れた時のカルチャーショックは何でしたか?
もし、お差し支えなければ教えて下さい。また、結婚のシステムは、日本とどういう風に違いがあるのでしようか?
ニジェールの彼女の場合は、親がすでに相手を決めている!と言っておりました。それでいいの?と聞くと、親には逆らえない!と言って親の事を絶対的に信じておりました。とても尊敬出来る両親だったようです。
羨ましいですね。

SECRET: 0
マリの方って美人が多いですね。男性もトゥアレグの方はすっご〜いハンサムだって聞いたことがあります。女性の衣装はインドのサリーみたいな感じなんでしょうか?服の部分とベールの部分が同じ布みたいですが・・・。
10代前半でお嫁さんか〜。ムスリムの女性との恋愛って突破口が難しそうって思ってしまいます。

SECRET: 0
かよちん、
イスラム教の礼拝は、日の出前、昼、昼過ぎ、日没時、夜の1日5回です。

マリの遊牧民も、初婚は親の決めた相手とするケースがほとんどだったようです
初婚がうまくいかなかった時、二度目の結婚は自分の意志で決めることが多いそうです。
でも都会の女性は、初婚から自分の意思で決めるようです。

娘も生まれてた時から、いとこや親類から、結婚の申し出が来ていますよ。
まだ決めていませんが・・・

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T子さん、
トゥアレグの中でもマリ北西部のトンブクトゥ地方は、モーリタニアの影響が強く、モーリタニアの女性と同じインドのサリーっぽい1枚布の衣装も一般的ですが、それ以外のトゥアレグ固有の衣装もあります。
そのうち写真でお見せしますね。

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実は今日はまだ会社。
コメントばかり書いて現実逃避してないで、仕事を終えて早く帰らなくっちゃ。

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↑のIちゃんに関する記事、
頑張ってコメントまで全部読みました。
1時間くらいかかったかも・・・・。
でも、とても勉強になります。

自分に自信ができると他人が何を言っても
そんなに気にならなくなると思います。
そういう点ではIちゃんは大丈夫そう。
でも、いろんなことがこれからも出てくるし・・・・
それによって成長されるのでしょうね。

時間があるときは読んでいないところも読みたいです。

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biwakokayoさん、
お疲れさま様でした(笑)

本来は、あちらのブログがメインで、
こちらは短期連載の予定でした。
でもbiwakokayoさんを始め、たくさんの方からコメントをいただき、
この夏の旅の記録以後も、写真中心で続けていきたいと思っています。

あちらは文章中心で、私のマリや西アフリカとの繋がりの中で
妻のこと、息子のこと、亡くなった義父のこと
そして日本について思うことなどを書いています。
どうぞあちらもご贔屓に(ぺこり)

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おお、イスラムの世界は回数が多いのですね。
考えてみれば、ミャンマーは、仏教でしたね?ん?ですよね?
ところで、jujubeさん、何時に寝てらっしゃるのですか?
それとも、朝が早いのですか?
お互い、いい歳ですから、たっぷり睡眠をとりましよう。

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今日、昨年の8月分まで読み進みました。
いろいろ、ありますね。
読んでいて飽きが来ません。(笑)

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かよちん、
私はたいてい娘と一緒に10時前にベッドに入ります。
娘が言うには、必ず私が先に寝ているのそうです(笑)
どっちか寝かしつけているのかわかりませんね。
で、3時過ぎか4時頃目が覚めます。

ときどき夜遅くまで起きていますが、そういう時でも朝6時前には目が覚めます。
日の出前に起きる遊牧民の生活が染みついているんでしょう。

話は変わりますが、日曜日くらいからラマダーン(断食月)に入りそうです。

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biwakokayoさん、
お疲れさまです(ぺこり)
波乱万丈とまでは言いませんが、飽きのこない人生でしょ?(笑)
妻との結婚で、外の視点から日本を見る機会も多く、いろいろ考えさせられます。
妻と結婚して本当に良かったと思っています。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月12日 15:36に書いたブログ記事です。

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