サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

ティロキエンへ

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大きな砂丘は変わらないが
低いところは
この時期だけ緑に衣替え

しかし
緑の絨毯に覆われているところも
3か月もすれば
草は刈れ
再び荒れた砂漠の光景にな

ここからの話は、砂漠の旅程を記した地図を見ながら読んでもらうと分かりやすいだろう。

グンダム出発

昼食後、のんびり過ごし、少し陽射しが和らいだ3時頃グンダムを出発。
ここまで一緒に来た妻のおばはしばらくグンダムに滞在するつもりらしい。
代わりに母親の違う弟が一緒だ。
彼は、かつてこの先の地域で遊牧をしていた。
だから今から私たちが目指す地域をよく知っているので案内をしてくれる。

町の南を流れる川のさらに南にある姉の家を出発し西に向かう。
父の墓の近くを通り、さらに西へ。
走っている北側(右側)には、広く平らな草原が広がっている。
ここは上流の雨でニジェール川が増水し、トンブクトゥの近くに支流ができ、その水がグンダムを越えて流れてきて、9月から3月頃だけ湖となる季節湖テレ湖だ。

テレ湖からファギビーヌ湖

テレ湖の南には砂丘があり、西には北に延びる岩の多い丘陵地帯がある。
そのため、テレ湖に流れ込んだ水はしばらくはそこの止まるしかない。
しかし水位に高まると、逃げ場を求めた水は北に向かって40kmほど進む。
ここに最後の堤がある。
支流の水位がこの堤を超えると、その先にやや標高の低い広大な低地が広がっている。
東西には10数kmしかないが南北の長さは100km近い。
これがファギビーヌ湖だ。
かつては満々と水を湛え、漁業も営まれていたが、その西端の地はもう30年以上水が来ていない。
白い砂丘に囲まれたその場所が、が妻の生まれ故郷ラズ・エル・マだ。

この湖の北岸、東西のちょうど中間辺りに、1970年代半ば、マリ政府とアメリカのNGOが大旱魃で家畜を失った遊牧民を集めて半農半牧の定住化プロジェクトを実施した。
井戸が掘られ、家畜が配られ、湖の水を利用して畑が作られ、小学校もできた。
それはうまくいくかに見えたが、湖の水がここまで達しなくなり、ある者は遊牧民だけの生活に戻り、定住化していた住民は次第に離散していった。
しかし小学校では給食が支給され続けたため、家族の食い扶持にも困る家畜を失った遊牧民の家庭にはそれは助け船となり、小学校は重要な拠点として運営が続けられていた。
父は、そんなこの地の小学校に家族を連れて赴任した。
そして退職後もここに居を構えた。

湖に水が入ってこなくなると、このあたりにサハラ砂漠の砂が吹きだまり、あちこちで小さな砂丘が形成されて始めた。
1980年代後半、この地に日本のNGOが入り、そこに暮らす人々の生活の向上と砂漠化防止の植林活動を開始した。
その拠点が、かつて定住化プロジェクトが行われた場所ティン・アイシャだった。
ここで私は、UNICEFのプロジェクトで成人女性の識字教育に携わる妻と知りあった。

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遠方の濃い緑がファギビーヌ湖。
中央に山がある。

テレ湖を越えて

テレ湖にはまだ水は入っていないが、青々と草が茂っている。
その中に、骨と皮だけになったウシの死骸が数え切れないほど点在している。
ティン・アイシャのプロジェクトに携わっていた時、ランドローバー・シリーズ3という四駆で数え切れないほどこの道を往復した。
その後もフィールドワークで何度もティン・アイシャを訪れ、ここを通っているが、これほど多くのウシが死んでいるのは見たことがなかった。
今は恵みの雨で育ち始めた草木の青さばかりが目に付くが、雨が降るまでは草1本なかったのだ。
死んでいるのは、雨期の草を食むことなく餓死したウシたちだ。
ウシの死骸を見ると、乾期の厳しい光景が瞼の奥に浮かんだ。

テレ湖の南西の端を大きく回り込み、車は北に向かう。

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右前方に、わずかにテレ湖が見える

乾期にはスタックしそうな柔らかい砂も、雨で締まって走りやすい。
このあたりの道は、乾期には強い風が吹くと轍が消えてどこが道なのかわかりにくいこともある。
しかし今は、踏みしめられていない草地の緑の中に、車が通りあらわになった土色の線がはっきりと引かれ、遠くまで道が確認出来る。

d0087256_12325033.jpg ダウナ

北に向かっていた道は次第に西に向かい始める。
土地の高低差で辺りの水が集まり、水が溜まっているところもある。
泥にスタックしないように、池になっているところは避け、慎重に進む。
この辺りでは、1本の轍だけが道ではない。
水たまり、穴、段差、砂丘などを避け、轍は何本にも別れ、それがまたしばらく先で合流している。
時には近くの村に向かっている轍もある。
土地勘がないと、目的地とは全く違うところへ向かう轍を追ってしまうかも知れない。

d0087256_12343100.jpg ファギビーヌ湖に平行して、南側10数km程のあたりを西に進む。
右手に北に延びる丘陵が見えた。
轍が2つに別れている。
右の轍に従えば、ティン・アイシャの対岸ムブナ村に向かう。
懐かしい。
右に曲がり、ティン・アイシャに行ってみたい気もする。
息子も「帰りにティン・アイシャに寄りたいな」とつぶやいている。

また広い地域が水に浸かっているところがあった。
その中に向かっている轍もあるが、よく見ればそれは水が溜まる前に通った車の轍だ。
柔らかい砂に水が染み込むとシルト状になり、そこに入り込むとタイヤが空回りしてなかなか抜け出せない。
慎重に進む道を決める。
安心出来る轍がなければ、車が入った跡がない方向にハンドルを切ることもある。

d0087256_1233140.jpg 砂地ばかりでなく、砂利のような礫の砂漠地帯もある。
太古の地層の褶曲の名残か、割れた岩石が、地表に線状に隆起しているところもある。
これを見るといつも船の「竜骨」をイメージする。
見晴らしのいいところはスピードを出して走るが、見にくい溝や穴や段差や岩がどこにあるかわからない。
常に車の足回りがダメージを受けないよう気をつけないといけない。

道は西からやや南向きに進路を変えている。
古く固定化した大きな砂丘をいくつか越える。
この地域はダウナと呼ばれている。

左手に大きな赤い砂丘が連なっている。
赤い大きな砂丘はずっと南に続いている。
弟が左手前方を示す。
砂丘の麓、指さす方向にハンドルを切ると日干し煉瓦の小さな家が見えた。
私たちもよく知っている親類の家だという。
グンダムで聞いてきた話では、私のウシがいるのはこの近くだ。
今日はここに泊まり、親類にウシのことを聞いてみることにする。
砂で締まった砂丘を一気に駆け上がり、砂丘の上に車を停めた。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月19日 17:54に書いたブログ記事です。

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