19区の古い友人。
彼女はこの映画の舞台のひとつになったPlace des FtesのすぐそばのRue des Ftesに今も住んでいる!
北アフリカの旅やアラビア語が縁で世話になり垣間見た、17区のモロッコ人やペリフ(priphrie:パリ郊外、移民などの低所得者が多い)のアルジェリア人の暮らし。
18区での盗難騒ぎ(アルジェリア人に鞄を盗まれたが、中にはあるものが入っていて、後で彼が返しに来た)やアフリカの食材売り場をまわったこと。
私がアパルトマンを借りた13区。
よく通った5区の書店、8区の地図屋。
そんなパリの中のあちこちの思い出と、この映画はたくさん繋がっている。
ああ、ここはよく歩いたな、ここは友人のうちの近くだ、この近くにパン屋があったな・・・
カフェ、メトロ、駅、公園、モスク、路上駐車、夜の通り、そんな舞台や背景が、いかにもパリらしく懐かしかった。
ストーリーに魅かれながらも、この映画は、私的な思い出の引き出しもたくさん開けてくれた。
話が終わっているのか終わっていないのかわからない、中途半端な余韻が残る物語がいくつかあったことも、いかにもフランス映画らしかった。
ただ、パリのアパルトマンの暮らしのシーンが意外に少ないな、と思った。
それは、自宅や友人のアパルトマンで語らい過ごした時間が、街(外)で過ごした時間より遥かに長く、それが私にとってはとても素晴らしい時間だったからだろうか。
私にとってのパリは、アパルトマンで過ごした時なのかも知れない。
今日の投稿のテーマに相応しいパリのアパルトマンの写真を探してみたが1枚もなかった。
あの頃は、暮らしの写真を撮ることなんて考えていなかったのだろう。
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jujubierさん、こんにちは。
想像以上に同感してしまっています。
13区のアパルトマン、8区の地図屋さん、、、
朝一番に向かうパン屋、カフェ、公園、
駅事に雰囲気の違うメトロ、クスクスが美味しいアラブ料理やモスク、、、、盗難騒ぎ、移民の方々とのふれあい……
書ききれない程の想い出が詰まっていて、一度蓋を開けると洪水のごとく溢れてきます。
アパルトマンの写真がないのもわかる気がします。
あの映画にも少なかったですね。シャッターを切るより、今ここに自分が居る事の素晴らしさの方が遥かに尊いのかも知れませんね。
jujubierさんも語り口の文章から、パリの香りがして来て、
少しだけ胸がきゅんとなりました。
*ねね
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想い出の引き出しを一つあけて、
中にあるものを一つ一つ手にして、
その記憶を呼び起こす・・・。
そんな少し切ない過去の時間の断片を見せてもらった気がします。
楽しい想い出も、時とともの懐かしさと切なさの衣を纏い、
我が身の変化を知るところになります。
私のフランスの記憶といえば、
とても若い頃、
バイクでフランスのローカルレースに参戦するために
滞在した事が最初で最後の記憶。
パリは知りません(×_×)
jujubierさんの語りは時の断片を思い起こしてくれました。
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*ねねさん、
写真と文章からパリの思い出が伝わったこと、とても嬉しいです。
ああ、またパリで暮らしてみたいです。
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*NATUREAさん、
コメント書き直して下さったのですね。
どうぞ、お気遣いはいりませんから。
マリでは(自宅でも妻に)「ユースフ!」と呼ばれていて、それに慣れています(笑)
NATUREAさんは、バイクに乗られていらしたんですね!
私の叔父が昔、陸王というバイクに乗ってました。
パリで一度、バイクでパリ−ダカール・ラリーに参加する方のお手伝いをさせていただいたこともありました。
バイク関係者(?)では、古い知人に加曽利さんという方がいます。
ご自宅に呼んでいただいたり、マリでお会いしたりしています。
そうそう、マリでは、あちらのマントのような服を着て、バイクで走っていたら、服の裾がバイクの後輪に巻き込まれ、ひっくり返った苦い経験もあります(笑)