妻と娘にとっては3年振り、私にとっては4年振りのマリ。
3年前と4年前、妻と娘はそれぞれ1か月マリに滞在し、義母と弟夫婦、そして妹夫婦がいる首都、息子のいる東の町、姉夫婦が暮らし義父の墓のある北の町など、あちこち訪れている。
しかし私の4年前の滞在は、往復のフライトも入れて2週間という短い日程だった。
そのため首都バマコにしか滞在できなかった。
かつて長く暮らしたマリ北部の砂漠は、もう7年も訪れていなかった。
だから、この夏の旅で行きたいところは多く、やりたいことも数えきれない。
しかし何よりまず、長く病の床に臥している義母(妻の母)の見舞いからだ。
それから、ぜひ北のグンダム(Goundam)でという町に行きたい。
尊敬する義父が2000年に亡くなった場所だ。
私たち家族はその時、隣国のブルキナファソにいた。
妻と子供たちはすぐに弔問に訪れたが、私は仕事で国外に出られなかった。
その後も機会を逸し、これまでまだ一度も義父の墓を訪ねておらず、ずっと心苦しく思っていた。
7月、嬉しい知らせがひとつ、マリからあった。
マリ東部のアンソンゴの知人宅に居候して通っていた息子が、無事中学を卒業(=高校入試合格)したのだ。
マリを始め、フランス語圏の小学校や中学校は、成績次第で留年も少なくない。
そんな中、無事中学を卒業できて親として一安心。
中学入学まで小学校の数年間は、アンソンゴの近くの村で小学校の校長をしている義兄(妻の母親違いの兄)が、フランス語で教育を続ける息子の面倒を見てくれた。
中学3年間は、アンソンゴで義兄の知り合いの中学校の英語の先生が息子の面倒を見てくれた。
しかし、義兄にも英語の先生にもまだ一度も顔を合わせたことがない。
ぜひ彼らに直接会ってお礼が言いたい。
そしてもうひとつ、私の個人的な願いとして、北部の砂漠地方で妻の親類に預けてある自分のラクダやウシやヒツジやヤギの様子をぜひ直接見たい。
砂漠の中、砂丘の上のテントで寝起きし、砂漠の暮らしを堪能したい。
そんな思いを抱えながらマリに向かう旅だった。
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