ティロキエンを出て、砂丘の帯沿いに南西に向かう。
1990年代前半、ニジェールに端を発した黒人系の人々を中心とする政府に対するマイノリティーとしてのアラブ・トゥアレグ系民族のゲリラ活動は、マリにも拡大し一般の地域住民を巻き込んだ民族紛争へと広がった。
軍隊や黒人系地域住民によるアラブ・トゥアレグ系民族の虐殺から、この地方の数万人のアラブ・トゥアレグがモーリタニアに逃げ、難民化した。
私の妻の家族も、住んでいた村を追われ、すべてを捨て北の砂漠に逃げた。
1か月近く、死の恐怖に怯え、砂丘の影に身を潜めた。
そして歩いて数十kmを移動し、比較的安全なグンダムの郊外まで逃れた。
妻(当時はフィアンセ)の消息がわからなくなったのを聞いて、日本にいた私は矢も盾もたまらずすぐに仕事を辞め、妻を探しにマリに向かった。
そして、以前働いていた日本のNGOの世話で、妻と合流することができ、妻を連れて日本に戻った。
その時、モーリタニアに逃げて難民化した人々のマリ国内への帰還を指揮したUNHCRが、その拠点としたのがティロキエンから10数km西のアラタンというところだった。
モーリタニアから戻ったが、生活の基盤をすべて失い、以前いたところに戻らず、そこに留まった人々もいた。
ティロキエンには、井戸が掘られ、小学校が造られ、新しい村となった。
そのティロキエンを通りしばらく走ると、川があった。
雨期の雨が集まり、早い流れをとなり、地面を大きく削り取ってできた川だった。
鉄砲水のような流れもあったようで、木が地面ごとえぐり倒されていた。
できるだけ車重を軽くするため運転手以外は車を降りる。
まず人が歩いて渡って、車がスタックしそうなところはないか確認する。
その後を車が慎重にトレースする。
男は車がスタックしないよう気が気でないが、子供たちはそんなハプニングも楽しんでいる。
女たちは流れに足を取られそうになり、手を貸す。
これくらいの傾斜がプラドの限界。
後ろのバンパーが当たっている・・・
池のような水たまりを迂回し、濡れて柔らかくなった場所を避けながら南下。
この辺りには、あまり大きな木がない。
私のニックネームのjujubeはフランス語でインドナツメ(Zizyphus mauritiana)の実のこと。
そのインドナツメの実がなっていた。
途中ですれ違った、ラクダに乗った遊牧民。
写真を拡大して、袋に詰めた生きたヤギをラクダに積んでいるのに気がついた。
そりゃ1〜2頭だけなら、この方が移動するには手っ取り早い。
反対側にももう1頭ヤギを載せていそうだ。
レレでは、古い友人のマラブーの家にお邪魔する。
彼と初めて会ったのはラクダ使いの修業で、ラクダに乗ってファギビーヌ湖を回った1983年
ティン・アイシャでのこと。
もう23年も前だ。
その時、まだ20歳そこそこだった妻は、マラブー宅に立ち寄った私を見かけたという。
しかし、私が彼女と初めて言葉を交わしたのはそれから4年後のこと。
彼の家を、マラブーとしてではなく、亡くなった母の甥、妻の従妹として訪問。
とは言え彼はマリ国内だけはかなり有名なマラブーだ。
西・北アフリカや中東からもマラブーの仕事で招かれたりしている。
しかし近年は高齢のためレレの町に留まっていることが多いらしい。
食事をご馳走になり一休みしていると、市役所に勤めている彼の息子から、役所のパソコンの調子が悪いので見て欲しいと言われる。
どこまで力になれるかわからないが、彼とともに役所に行き、パソコンやプリンタ(複合機)を確認。
まず、動かない複合機の砂埃をブロワーで吹き払い、分解出来る限り分解し清掃。
すると中からネズミが出てきた・・・
コピーできるようになった。
次はパソコン。
複数の人間が使っているようで、同じフォルダやファイルのコピーやショートカットがあちこちに散乱している。
重複しているものを整理・削除し、ディスクのメンテナンスをし、設定を調整。
それから思うような動作をしないといういくつかのアプリケーションの設定を修正。
一度ハード・ディスクを再フォーマットして、システムやアプリケーションの再インストールまでしたほうがよさそうだが、時間もないし、役所のシステム設定もわからないので、その場でできるだけのことをする。
しかし、パソコンがどうしても先ほどの複合機を認識しない。
問題を切り分けるため、自分のノート・パソコンを持ってきて複合機と繋いでみるが、やはり認識しない。
どうやらパソコン側でなくUSBケーブルか、複合機内部の問題。
USBケーブル端子の形が特殊で、同じケーブルが見つからず、それ以上の問題の切り分けができない。
同じ端子のUSBケーブルを探して繋いでみて、それでもダメなら複合機を修理に出さないといけないとアドバイス。
複合機から印刷出来ないままなのは非常に悔しいが、これ以上はどうしようもない。
複合機は完璧に直らなかったが、とりあえずコピーができるようになり、パソコンは調子が良くなったと喜んでもらえた。
そこまでして、彼の父の家に戻るともう日没だった。
貴重な砂漠滞在のかけがえのない数時間をパソコンの前で過ごしてしまった。
非常に残念だ。
SONY、PANASONICの日本人ということで、腕時計、ラジオ、テレビ、ビデオ、パソコンなどの使い方から修理までよく頼まれる。
なまじ、ちょっといじると直ったりするものだから、余計頼りにされる。
トゥアレグ社会では、どうやら私は、この分野で有名らしい。
バマコで弔問の合間にも、デジタル式腕時計の時間合わせから、WindwosやMacの使い方の講習から各種設定までいろいろ頼まれ、それに応じていた。
マラブーの息子も、私が着いたと聞いて、これでパソコンが直ると思ったという。
しかしこれもお付き合い。
頼りにされて悪い気はしないし、まあ良しとしよう。
マラブー宅の庭にて
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ヤギを袋に入れて積んでいる写真を見て
ラクダが砂漠にいなかったら・・・と想像しましたが・・・、
ラクダはほんとに頼りになりますね。
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ラクダは砂漠に適したいろいろな特徴があって面白いですよ。
それはまた、おいおいお話したいと思います。