サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

訃報 2

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お悔やみの言葉や感想を書いて下さったみなさん、
ここでのまとめてのお返事をお許し下さい。

みなさんひとりひとりについての私の知る限りの紹介と、
そしてみなさんからお言葉は、
故人の奥さんと、
義弟の妻であるその娘さんに、
できる限り伝えさせていただきました。

本当にありがとうございました。

昨夜、私が家に戻ると、義弟夫婦の暮らすバマコの我が家に、親類たちが集まっていた。
妻は、昨日、故人の娘である義弟の奥さんとずっとビデオチャットで話をし慰めていたそうだ。
モニタに映った故人の娘の顔は、少し落ち着いたようだった。
しかし悲しみは、寄せては帰す波のように繰り返し、やって来るのだろう・・・

実は、マリのいとことほぼ時を同じくして、岐阜県に住む私の叔父(父の弟)も亡くなっていた。
昨日の午後はその告別式に出ていた。

家に帰り、マリの親類たちにお悔やみを述べると、妻からその訃報が伝わっており、彼らから私にも、お悔やみの言葉を貰った。
「この世に生を与え、また死を与え給う神の定めた運命を受け入れます」
お悔やみの言葉へのトゥアレグの返事を、私も彼らに返した。

私の叔父の告別式は、故人と家族の希望から、読経もない献花のみのお別れ会の形だった。
シンプルだからこそ、残された者たちは、形だけでなく故人を偲び、互いにその思い出を交換しあった。
今日は葬式に出かける。
葬式も読経はなく、孫から祖母への、そして娘から父への手紙の朗読を心を込めてするのだという。

昨晩、もうひとつ訃報が入った。
グンダムで暮らしていた別の妻のいとこが、グンダム(Goundam)で息を引き取ったという電話だった。
肝臓を患っていたが、彼は50歳になるかならないか。
バマコに暮らす義妹の夫(彼も妻のいとこ)の兄でもある。
続け様の3つの死に驚いている。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2007年4月11日 07:23に書いたブログ記事です。

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