サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

心を日に晒す

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心が沈んでいる。

落ち込んでいるのか。
畳み掛けるような3つの死のせいか。

いや、落ち込んでいるわけじゃない。
死について考えているのでもない。

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残された者たちの、さりげない振る舞いからあふれ出る多くの思いに中(あ)てられたような。
いつもの自分と違う色に心が染まっているような。

こんな時は、サハラ砂漠の強い陽射しに身を置きたい。
すべてを洗い流してしまうような強い陽射しが恋しい。

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コメント(6)

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 私は自分の病気のこともあり、死について考えることが時々あります。
 それが運命だと言われても、頭で分かっていても、認めるのはなかなか難しいです。

 アフリカだったかどこかの部族に、人は2度死ぬというのがありました。1度目は実際の死、2度目はその人のことを憶えている人がいなくなった時。
 思い出がある内は、その人は心の中に生きてるのだと。

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従兄の孫が水難に遭って、8日に葬儀を終えました。
その疲れやショックからか、昨日は血圧が195にも上がってフラフラでした。
こんな時にはやはり死というものを思い浮かべるものですね。
三つも重なったjujubierさんの心境が思いやられます。

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*マサエさん、
砂漠で死にかけたことが何度かあるせいか(サソリに刺されたり、銃で撃たれたり、砂漠で道に迷ったり、病気で倒れたり・・・)、死が遠いものとは感じません。
でも妻や子供のためにも、もう少し生きていたいと強く思います。

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*hakutou5さん、
9歳のお子さんとのこと、胸が痛みます。
お悔やみ申し上げます。

娘のいとこが1歳になる直前、砂漠の村で呼吸が泊まり、手を尽くしましたがだめでした。
子供を抱いたあの腕の重みは一生忘れないでしょう。
子供の死は誰であれ本当に辛いですね。

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ねっ?こんな時、、、自分が違う世界に住んでいるような気がして、、、
まだまだ現実とのギヤップ、、、
でも、いつまでも、、想っていたら、、故人は天国へ行かれないそうです。安らかに、、、安らかに、、時が過ぎるのを待ちましよう。
思い出は、しばらく封印しましょう。

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*かよちん、
忘れないことも、故人を尊ぶことだと思います。
でもそれは、おっしゃるように、故人が後ろ髪を引かれるような形では決してありません。
むしろ故人が喜び誇りに思うような形で。
生きる指針として彼の生を記憶に留め、その生き方を見習いたいと思います。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2007年4月12日 12:51に書いたブログ記事です。

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