サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

1日の始まり

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朝5時45分。
砂漠の1日が始る。

家畜と
砂と
愛する家族に
囲まれた暮らし

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客に振る舞った肉の残りを子供たちに。
「お父さん、お肉ちょうだい」

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まな板を使わず、ナイフと指先でうまく肉を切る。

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コメント(4)

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周りに物(テレビ、ゲーム、家具・・・)が少ないということは
家族や家畜や限られたものに集中できるからいいですね。
お互いがお互いを見守っているようなかんじです。
同じお皿から食べるのは皆で分け合って食べると言うお勉強にもなると思うのです。
もし、早くたくさん食べる人がいたら・・といらぬ心配をしてしまいますが、そういうことはないのでしょうね。

SECRET: 0
ちなみに、朝食の支度はどなたがメインで準備されるのでしようか?
このような食事だと、語らずして食の有り難さを子供たちに伝える事が出来ますね?
おそらく、いただいている食事の元となった動物の事を敬い、、、、
と言う事も自然と身に付くのでしょうね?
子供は大好きなので、こんなに純粋な瞳の子供が
突然目の前に現れたら、ついつい抱きしめてしまうかも知れません。
お国によっては、子供たちにしてはいけないタブーに態度が
あると思うのですが、こちらではどんな事がタブーとなっているのでしようか?

SECRET: 0
biwakokayoさん、ひとつの皿から食べる時、自分に近い皿の縁から順番に奥の方に向かって食べていきます。
だからひとりが食べるのは、ちょうどケーキを人数分に切ったように、皿の中心を頂点にした三角形です。
理屈から言えば、いくら早く食べても、それを食べ終わったら終わりですね。
でも腹を空かせているのを示すのは恥ずかしいこと、という価値観があり、ひとりだけがつがつ食べることはないですね。
真ん中に置いてる肉は、主人が切り分けて、一人一人の場所において、公平になるようにします。
食べている人同士の間に残った壁は、残っている量の多い方の人が崩してあげて、どっちが早く食べたかわからないようにしてあげたりもます。

SECRET: 0
かよちん、食事の支度は奥さんの仕事ですね。

左手でものを渡したり受け取るのはダメです。
左手は排泄時に使うので不浄なものと思われています。
ものは必ず右手(あるいは両手)で渡します。

兄弟の「数」を聞いたりするのはあまり良くないことですね。
それからすごく褒めるのもそうです。
そういう数や褒め言葉を聞いた「精霊」が、
「じゃあ数を減らしてやれ」
「良いところを台無しにしてやれ」
と悪さをするからだそうです。

タブーじゃないですが、子どもの頭を撫でるってしませんね。
ギュッと抱いてあげる方が喜ぶかな。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月22日 07:40に書いたブログ記事です。

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