サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

墓前に立ちて

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母の墓前に立ち
瞼に浮かぶのは
在りし日の優しさと
してあげられなかったと
尽きぬ後悔

朝食後、妻と息子と弟と墓地へ出かける。
娘はまだ小さいので家に残したが、息子は15歳ならいいだろうとみなに言われて同行した。
ほかのイスラム圏の慣習は勉強不足で知らないが、マリでは子供だけでなく女性も墓地には入らない方がいいとされている。
だから墓地まで一緒に来た妻だが、彼女は車の中で待つ。

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墓地の中は葉を茂らした木々が点在し、足下には背の低い草が青々と茂っている。
人や棺桶を運ぶいくつかの道と新しく掘られた地面だけが茶色く剥き出しになっている。
草いきれの中をしばらく歩いて行くと弟が立ち止まった。
(義)母の墓だった。

イスラムの教えでは、聖者信仰などを避ける意味から、誰の墓か分からないような作りがよいとされる。
ただ、墓があることを知らない人がうっかり上を歩かないよう、そこが墓だとわかる目印を置く。
墓参りも義務ではない(西アフリカでは禁止事項でもないが他の地域ではどうだろう)。
義務ではないと言っても、さすがに亡くなったばかりの親族の墓を訪ねる人は少なくない。
目の前の母の墓には、目印に、アラビア語で名前と生没日を書いた板が置かれていた。
墓前で許しを乞い、正しく強く生きて行けるようにと神に願う。

優しい母だった。
外国人の私との結婚を反対せず、暖かく祝福してくれた。
一緒に暮らしていて、まったく負担を感じさせない母だった。
孫には優し過ぎるくらい甘かった。
たくさんのトゥアレグのしきたりを教えてくれた。
娘である妻には、遊牧民のいろいろな知識を伝えてくれた。
最後まで、私に対する愚痴や批判を一言も耳にしなかった。
私のことを気遣ってくれていた。

私もそんな彼女を敬い、できる限りのことをしてあげたつもりだが、たったひとつ後悔し続けていることがある。
2001年、彼女とその長女である妻の姉を日本に招いた。
あちこち観光に出かけたり、日本ならではの食べ物も食べてもらった。
滞在期間中はきっと楽しんでもらえただろう。

しかし、母は時々微熱があった。
マラリアを疑い、検査したが幸い陰性だった。
その後内科で治療を受けた。
その後、眼科医にもかかった。
片目は数年前に網膜剥離を患っており、今からの改善は困難と診断された。
もう片方は、緑内障と白内障の両方の症状があるとのことで、その治療を受けた。
そうこうしているうちに、帰国間近となった。
「実はまだ医者に見せたいところがある」
と姉から言われた。
「医者には診てもらえるだろうが、帰国直前で治療するには時間が足りないのではないか」
と答えた。
「確かにそうだから、帰ってから見てもらう」
と母は答えた。

しかし1年後それが悪化した。
マリでは治療しきれず、昨年モロッコまで緊急移送し、放射線治療を受けた。
一時は回復したかに思えたが、結局それは完治せず、7月末に急逝してしまった。
「あの時、帰国予定など気にせず、医者に見せていたら」
そう思い続けている。
この後悔と罪の意識は、これからも続くだろう。

母の優しい思い出と、後悔の念を抱えたまま墓を後にした。
車に戻り妻に墓の様子を報告してあげた。
家に戻るとすぐに、デジタルカメラで撮った墓の写真をパソコンに移し、女たちを呼んだ。
たちまち、パソコンの周りに人だかりができた。

今回、これまでアフリカでとったすべてのデジタル写真と、ポジ・ネガフィルムから選んでスキャンして画像ファイルにしたものをすべて外付けのポータブルハードディスクにいれて、Apertureで整理して持ってきていた。
その中から、亡くなった父と母の写真を選び、スライドショーにした。
今日の墓の写真も早速その中に含めた。

この旅の間に、何度これを見せただろうか。
モニターに元気な頃の父と母が走馬灯のように映し出されると、女だけでなく子供たちも男もそれに見入っていた。
映し出される姿と自分の思い出と重ね合わせ、いろいろな思いが口々からこぼれ出てくる。
妹のひとりは、実の母の在りし日の姿に想い極まり泣き崩れてしまった。

スライドに見入っている人々の傍らに立ち、自分が写真を撮って来てよかった、としみじみ思った。
自分のためだけでなく、彼らのためにもこれからも写真を撮り続けたいと考えた。
今回、撮った人に見せる写真、撮った人が喜ぶ写真を撮りたいと、初めて意識した。
自分の撮る写真が変わるだろうか。

また、ノートパソコンを持ってくるべきか、ハードディスクの中のアプリケーションを、容量を稼ぐためどこまで削除するかぎりぎりまで悩んだ。
しかし自分が撮った写真を見てくれている人々を見て、パソコンを持ってきたこと、写真を保存するだけでなくそれを見せるアプリケーションを入れてきたこと、思っていた以上に意味があったと元気をもらった。

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コメント(10)

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こんばんわ。
先月お盆を迎えたと思ったらもう、秋のお彼岸です。
お国が違うとしきたりも違うのですね。
でも死者を祈る気持ちは、どこの国も人も同じですよね。

1枚目のお墓の 「土の色」がとても印象に残りました。
「土に返る」って言葉を、ふと思い出しました。

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この質素なお墓に魅かれました。
生まれる時も死ぬ時も皆同じようで・・・。
お母さん、素晴らしい心の広い方だったのですね。
それは奥様にも引き継がれているのでしょうね。
写真は人に見てもらって喜んでもらえたりするのが一番嬉しいですね。

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ぴっぴさん、コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、しきたりは違えど、人の気持ちの根っこは同じだと私も思います。

あちらは火葬じゃなく土葬なので、「土に還る」という言葉の通りですね。

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biwakokayoさん、
ほんとうに優しい母でした。
妻は、母からも多くを受け継いでいますが、父親が人格者で多くの人から慕われていたので、少々ファザコンかなあ。
偉大な父と比べられる私は・・・(涙)

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人格者のお父さんを目標に・・・がんばってください。
いずれ、帰られるのでしょうから・・・。
優しいお母さんと人格者のお父さんに育てられた奥様に
魅力を感じられたのですね。(笑)

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biwakokayoさん、
父の真似はしません、できません。
知識も性格も人間の出来も全く違うので。
それより、私らしくあろうと思います。
それから誠実に。

パソコンと写真に掛けるお金と時間を減らせば、良き夫だと思うんですが・・・無理かな

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日本では49日火を絶やさず、初盆、一周忌、三年、五年、一三年、墓参り、草引き・・・・・。
残された者にとっては大変な労力です。
坊主丸儲けとはよく言ったもので仏事を値切る人も居ないし
元手も要らない。住居はお布施で建ててもらって税金も無い。
高級車を乗り回し夜ごと飲み屋で騒いでいるお坊さんも何人も知っています。
そちらでは宗教はもっと重要な部分であろうかと思いますが、皆の認識やお坊さんに値する方々の生活態度などはどうなのでしょう?

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inamokuさん、
コメントにお返事書いていたら、字数が多過ぎてアップできませんでした(汗)
新しい投稿という形で、今晩にでも書き込もうと思います。
では、今から東京出張に行ってきます!

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あ、すみません、面倒な質問をしてしまったみたいで。
書いた後で思ったのですが、もしかしてjujubierさんがお寺関連のお仕事だったらどうしようかなって。(^_^;)
もちろん、日本にも素晴らしいお坊さんも沢山いらっしゃるというのを前提として解釈下さい。(^_^;;;)

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inamokuさん、
いい人も悪い人もいるのは、どこでも同じですよね。
実家はお東さん(東本願寺)の檀家ですが、私はイスラム教徒です(変?)
でも原理主義者じゃないし、ファナティックでもないです。
私は酒飲みませんが、隣で飲んでいらしても気にしません。
ですから、どうぞ変な目で見ないでお付き合い願います(ぺこり)

コメントの方、もうちょっとお待ち下さい。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月 4日 09:16に書いたブログ記事です。

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