サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

バマコ紹介

| コメント(5) | トラックバック(0)
d0087256_8162035.jpg

雨雲が迫ってくる
雨期の強い雨がやってくる
人々の動きがせわしくなる

マリ共和国の首都バマコについては、8月3日の「満たされた日常へ」で触れたが、それ以後に撮った写真とともに、もう少しだけ紹介を。

d0087256_818688.jpg

ニジェール川の左岸(北側)、町の中心の写真。
右手奥、2本の塔が建っているところが、大モスク。
そのすぐ左奥に国会議事堂がある。
されに少し左側にダカールからの国際列車の駅がある。
モスクの奥の丘の上はポワン・ジェー(Point G)と呼ばれ、病院がある。
モスクの右手、東側には川に沿って町が大きく広がっており、工業地帯がその先にある。
東へゆく道は、数10km先にあるニジェール川のフェリーの発着所の町の名前からルートゥ・ドゥ・クリコロ(Route de Koulikoro:クリコロ通り)と呼ばれている。
この通りには地下駐車場も完備された大きなスーパーマーケットがある。

ニジェール川は、バマコ周辺では川幅は広いが、浅く、岩も多く大きな船は入ってこれない。
したがって水運業の中心は、バマコではなくその東にある水深の深いクリコロだ。
ここからは雨期の雨でニジェール川が増水した約半年間、千数百km下流のガオまで大きなフェリーが出ている。
バマコやクリコロ辺りの水深は、上流のギニアの降雨によって8月頃ピークになり、それから次第に引いてゆく。
それが北のトンブクトゥ辺りでは、川の長さから水位の上昇は大きく遅れ、10月から11月頃がピークとなる。
妻が生まれたところは、トンブクトゥ近くの支流の末端にある季節的な湖の最西端だ。
そこまで水が来なくなりもう30年近いだろうか。
この湖の入り口まで水が達するのは、バマコから遅れること4ヶ月、年末か年の初めだ。

d0087256_81912.jpg

写真の中央やや左にある二つの丘の間の間には丘の上に向かう道があり、この道沿いに、博物館、動物園、植物園などがある。
ニジェール川には、カバやワニが多く生息しており、淡水性のマナティもいる。
バマコの動物園で、しばらくこのマナティが飼育されていたが、死んでしまい、看板だけが寂しく残っていた。

d0087256_8193410.jpg

上の写真は、1枚目の写真の左側(西側)だ。
このあたりは商業地域で、手前の平屋の家屋群は古くからある市場だ。
中央やや左に、カテドラルが見える。
左の丘の上には大統領府と外務省がある。
ここ20年程で車が急増し、町の中は慢性的な渋滞に悩まされている。
環状線が作られたり、一方通行の規制をして、車の流れを誘導しようとしているが、町の中心の渋滞はあまり解消されていない。

バマコ市内では、この写真の一番下に見えるようなミニバス型の交通手段が一般的だったが、最近大型の路線バスも増えてきた。
タクシーも以前より増えた印象を受けた。

d0087256_8201845.jpg

上の写真は2枚目と同じ方向だが、広角で撮っている。
この写真の奥の地域は、飛行場もある軍の基地だったが、現在新都心としての開発が進んでいる。
中央左右に延びる街灯が、かつての軍の空港を利用した大通りだ。
下の写真がその大通りで撮ったもの。

d0087256_8212898.jpg d0087256_8221432.jpg

上はニジェール川の右岸(南側)を臨んだ写真。
中央左が古い橋ポン・デ・マルティール(Pont des Maryrs:殉教者の橋)。
右端にあるのが、2番目の橋ポン・デュ・ロワ・ファハドゥ(Point du Roi Fahd:ファハドゥ王橋)。
下の写真は殉教者の橋とその周辺の夜景。

d0087256_8231517.jpg d0087256_8241061.jpg町中には、コロニアル風の古い建物も多く残っている。
新しい建物は、欧米や日本のものに似通っているが、強い陽射しを避けるため、窓ガラスはスモークやガラスのように反射率の高いものが多く使われている。

インフォーマルな活動も多く、道端には、果物屋が雑貨屋などいろいろな店が並んでいる。
早朝は、コーリャンやトウジンビエなどの雑穀で作ったパンケーキを売る女性が道端に現れる。

d0087256_825237.jpg

テーブルと長椅子を置いただけのカフェもあちこちにある。


d0087256_826827.jpg

西アフリカのカフェ・オ・レは、練乳たっぷりでインスタントのネスカフェはほんの少々。
とても甘い。

d0087256_8263463.jpgまた道端では、多くの人が、緑茶を使った甘いお茶を飲んでいる。
頼めば誰でも飲ませてくれるが、バマコのお茶はとても濃い。
私は遊牧民の薄めのお茶の方が好きだ。

マリは大好きだが、バマコの都心の人の多さ、喧騒、渋滞とそれによる空気の悪さはどうも苦手だ。
私たちの家族も同様で、暮らしているのは都心から離れた地区だ。
私はバマコに来る度に咽を悪くしているので、今回、必要に迫られない限り都心に行かなかった。
そのため町中の写真はあまりなかった。
申し訳ない。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://sahelnet.org/mt/mt-tb.cgi/1904

コメント(5)

SECRET: 0
jujubierさんの写真、文・・・・共に素晴らしいので、
このまま本にできますね。
遊牧民のイメージで考えていたから
バマコの町が大きくてきれいだと思いました。
写真で見た範囲ですが・・・。
どの写真も好きなんですが、特にパンケーキを売る女性がイキイキとしていいですね。

SECRET: 0
あー、私もパンケーキの女性の写真が最高に素晴らしいと思いました。
もちろん他の写真も異国の雰囲気が十分に伝わってきてとても嬉しいです。

SECRET: 0
biwakokayoさん、inamokuさん、
パンケーキの女性の写真気に入って頂けて嬉しいです。

SECRET: 0
マリに2ヶ月ほど住んだだけですが懐かしくって、魅入ってしまいました。セネガルの話から、飛ばして読んで申し訳ない気がします。僕はマリの国立舞踊団のジェンベフォラに太鼓を教えて貰っていました。毎日バダラブグのアパートから徒歩やソトラマにのってパレに通って。確かに空気が悪かったです。交通事故も多いと聞きました。トンブクトゥーから駱駝で半日ほど行ったトアレグの家に泊めてもらったのも思い出です。あー又マリに行きたいです。

SECRET: 0
「水さんさん」さん、
私も3度、それぞれ数か月から1年ほど、バダラブグに住んでいたことがあります。
妹の旦那は、今もバダラブグに旅行代理店を開いています。
初めて住んでいた頃には、まだ2番目の橋がなく、バダラブグはけっこうのんびりした感じでした。
それが今では!・・・車の通る量が全然違いますね。

日が暮れる頃に、よく1本目の橋の側の文化会館の前にある露店の焼肉屋に行ってました。
あそこの腸詰肉、おいしかった!
今年ももちろん、あそこのお肉買って食べました。
その近くのケーキ屋さんも、娘が好きでよく行ってました。
こんな話すると、ますますマリに行きたくなっちゃいますよね(笑)

トンブクトゥのトゥアレグはきっと私の顔見知りです(笑)
彼の家は、きっと町の西側の砂丘を越えた方ですよね。
私は、あのあたりで1年間トゥアレグのテントに住み込んで、ラクダの扱い学んでました。

コメントする

このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月10日 15:14に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「弔問客を迎える」です。

次のブログ記事は「バマコの日々と家族」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。