サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

砂埃の中で

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外はサハラの熱風と砂塵

ゴザ1枚が壁の家は
熱のこもる日干し煉瓦やセメントブロックの家よりも
砂漠の厳しさを和らげてくれる

布1枚で入り口からの風も防げる
夕べにはそれを外し
心地よい風を招き入れる

娘にとっては、レレはあまり印象の良い町ではなかったようだ。
(町の泥の道に溜まっている家畜の糞と混じった雨水が)「臭い」
(道に投げ捨てられた)「ゴミが多過ぎる」
(日中食べ物や人にも群がってくる)「蝿が多くて嫌だ」
といろいろ不満を漏らしていた。

日本に数年暮らし、過剰なほど衛生的なその暮らしを当たり前と感じている娘の目に、ゴミの多い砂漠の町はとても汚く映っているのだろう。
砂漠の中の暮らしには捨てるものがほとんどない。
しかし、町には伝統的な物質循環の輪から外れた物資がもたらされ、それが破棄されあふれ始めている。
人が集まり、都市化が進むと、流される水や汚物が土地の許容量を超える。
人が少ないうちは大地に還っていたものが、人が集まり過ぎるとそこに留まる。
そんなゴミや汚物は、私も確かに汚いと思う。
しかしゴミや汚物があることよりも、それを非衛生的だと思わないことが問題だと思う。
だから娘には、「汚い」と感じる感覚は持ち続けて欲しい。
しかし、砂を汚いと感じることについては、ゆっくりと話をしていきたい。

友人とその家族に別れを告げ、市役所勤めの友人の息子に町外れの譲られた土地を見せてもらった後、レレを出発。

来た道を北東に戻る。
アラタンの手前で左手(西)に曲がり、目的のキャンプのあるティン・ネレを目指すが、大きな固定化した砂丘の間の広い地域が浸水していて車では入っていけない。

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浸水した地域を大きく迂回して、車が通り抜けられる地形を探す。
他の車の轍は全くない。
しばらくこの地域に車が来ていないようだ。
何度も行きつ戻りつし、車のルート探し、少しずつティロキエンからずっとガイドしてくれている親類の案内する方向に進んで行く。
昼過ぎにようやく目指すティン・ネレのキャンプ地を見つけた。

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探しているのは、病気に臥せっているという妻の父方のいとこ。
以前は、彼が私のヒツジ、ヤギ、ラクダの面倒を見てくれていた。
しかし歳をとり、別の親類にその世話を託してくれた。
木の枝とゴザで作られた背の低い家の傍に車を停める。

d0087256_2034093.jpg d0087256_2025874.jpgこの形の家は、遊牧民がある程度長く同じ場所に留まっている時に使うものだ。
来る途中、湖のように大きな浸水地域があった。
この辺りには牧草が豊富にあり、1年を通してそれほど遠くまで移動する必要がないのだろう。

この家は目指すいとこの家ではなかった。
しかしその家の主が、いとこの家はすぐ近くだと教えてくれる。
彼が指さす先に、遠くに同じような作りの家が見えた。

しかし、偶然立ち寄った家もまた、長い間会っていなかった別の父方のいとこの家だった。
お茶だけでも飲んで行けと招かれ、そのまま立ち去ることもできない。
お茶だけでは済まないだろうなと思いつつ、テントの中に入り挨拶を交わす。

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テントの中は、外からの見た目よりずっと大きい。
砂埃の舞う熱風と強い陽射しを防いでくれる。
しかし、案の定お茶だけでは済まず、すぐにヒツジが解体され、肉とご飯が振る舞われる。

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調理場はテントの横。
屋根も壁もない、さえぎるもののない砂漠の風の吹く場所だ。
肉やご飯には、少し砂が混じっていた。
出された水は砂の色をしていた。
ミルクやヨーグルトも出されるが、すぐに風で舞う砂埃が入ってしまう。
妻や私は気にならないが、娘は肉やご飯が食べられず、ミルクやヨーグルトも申し訳程度に口を付けるだけ。
娘は車に積んできたポリタンクのグンダムの水道水を渡すと、それでようやくのどを潤している。
妻は嬉しそうにいとこや他の親類たちと話をしている。
しかし娘がめげているので、妻に話し、食事をした後すぐに切り上げ、病気だと聞いている親類のテントに移動する。

いとこは、病み上がりだといいつつ、テントの外で出迎えてくれた。
バマコに暮らす弟の若い妻は、このいとこの娘だ。
私が父母とグンダムで暮らしていた時、彼はしばらく父の家に滞在していたのでよく話しもした。
だから私にとっては妻の親類というだけでなく、友人としても病気と聞いて是非彼を見舞いたかった。
彼もイスラムの造詣が深くマラブーと呼ばれているが、それを仕事にはせず、遊牧民として家畜とともに暮らしている。
テントの中には、子供たちにコーランを教えるための板が何枚もかけられていた。

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テントに入ると、私たちのためにまたヒツジが1頭犠牲になった。
しかしさすがにもう多くは食べられない。
娘は、私たちとは別の理由で肉に口が付けられないままだ。
仕方がない。
古い友人でもある親類を見舞うという目的は果たせた。
お茶を飲む間だけここで過ごし、いとまを告げて出発。
別れ際に、アラブの遊牧民がよく履いている、黒く柔らかいコットン地のカルタバ(ズボン)を貰った。
これは座りやすく、ラクダに乗る時にも邪魔にならずとても便利だ。
さすがに私の好きなものをよく知っている。
とても嬉しい。

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コメント(6)

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布のテントの家のほうがすごしやすいとは意外でした。
熱風が来て暑いのかと思っていました。

娘さんは砂がジャリジャリしたものを食べられなくて
大変でしたね。
慣れていないと・・・。

ゴミの出ない生活を少しは見習わないと、
いけないと思います。
考えたら減らせるゴミがあるでしょうから・・・。

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レンガは蓄熱暖房機に使われたりしていますから、一度熱を持つとなかなか冷めません。
朝はいいですが、夕方から夜は家の中の方がずっと暑かったりします。
テントは、適度に風が通る、風の通り道を作ることが出来ます。
ただそうすると砂が舞い込んできますが・・・

今回の旅で、娘は、料理の中の砂(遊ぶ分には嬉しいみたいですが)とハエに相当辟易していました・・・

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砂の混じった食事、確かに日本で暮らしてきた子供にとっては
戸惑ってしまうでしょうね。
私も最初は抵抗ありましたもん。
もうすっかり慣れましたけど(^^;

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砂の中に2枚に開いた(笑)ヒツジを埋め、その上に薪を置いて焚き火、という豪快な料理があります。
こんなの砂だらけ。
でも脂の乗ったうまい肉だと、叩けばほとんど砂が落ちちゃうのが不思議。

小麦粉をこね、丸いパン生地にして、炭火で熱くなった砂の中に埋め、その上に炭火を置き、それに鍋を置いてソースを作る。
一度パンをひっくり返し、また砂に埋め、その上でスープを作り続ける。
焼けた頃にパンを砂から出し、水で洗って(はたくだけの時もあり)、ちぎってスープに入れて食べる。
こんな料理もあります。

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おとといのテレビでサン族と言う人たちが紹介されていました。
玉子焼きを作るのに同じように灰の中に埋め込んでいました。
そして灰をはたいて食べて・・・
フライパンがなくてもオーブンがなくても・・・
調理できるのに驚きました。
そういえばNZでもマオリ族の人は葉っぱに包んで埋め込んでいましたが、砂漠は大きな葉っぱもないですからね。

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遊牧民は、
「葉っぱより砂の方がきれいなのに、どうして葉っぱなんか使うんだ?」
と言いそうな気がします(笑)
強烈な太陽に光と熱に晒されている砂漠の砂は、確かに滅菌済かも。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月21日 14:31に書いたブログ記事です。

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