サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

砂漠への扉

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トンブクトゥで
ひとり夜を過ごしていると
絶世の美女が現れる

彼女に誘われるまま
家に招かれ
快楽の一夜を過ごす

しかし
朝、目覚めると
誰もいない
何もない

砂漠の中に自分ひとり

トンブクトゥは、今は砂漠の中の泥の町だが、13世紀には交易の拠点として栄えていた歴史の多い町だ。
16世紀にはイスラムの文化・研究の拠点になり、ヨーロッパをしのぐほどの文化都市であったという。
町には10万人の人が暮らし、大学は2万5千人の学生を抱えたという。

そんなトンブクトゥは、神秘の町と言われ、さまざまな伝説や逸話がある。
美女の話ものそのひとつ。
また、トンブクトゥの町の滅亡の危機には、白い馬に乗った白いマントを着た英雄アルファルークが現れ町を救ってくれるという。

早朝の町を歩く。

d0087256_7105625.jpg トンブクトゥの伝統的な様式の扉。
ひとつ作ってもらい、船で日本に送った。
書斎の扉になっている。

d0087256_711818.jpg 砂漠の中の暑い町なので、熱風や砂が入ってこないように窓は小さい。

d0087256_7112511.jpg トンブクトゥ独特の丸いパン「トクラ」を焼くかまど。
早朝は、町のあちこちで火が入っているのを見かける。

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コメント(8)

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>絶世の美女が現れる

こういう話は日本でもありますね。
きつねにだまされる・・・みたいな・・・昔話。(笑)
私は白い馬に乗った白いマントを着た英雄アルファルークに会いたいな〜〜。
砂漠の中の立派な建築物、中も素晴らしいのでしょうね。

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おお、童話の世界のような、、その絶世の美女に、jujubierさんも
出会う事が出来たのですね。フムフム、、、なるほろ~~~。
扉は、重厚な作りで、窓は、二重になっているのでしょうか?
あれだけ、窓が小さいと、部屋の中の明かりは、、、
う~ん、サラ・ブライトマンが好きな私にとって、
こちらの暮らしは魅力的ですね。
何処?と聞かれたら、特定は出来ないのですが、服装の雰囲気から、
行ってみたい国は何処?と聞かれたら、こちら方面のお国だと思っています。
理由は?と聞かれたら、これまた明確ではないですが、
ただ何となく、、、憧れ?と答えるのかしら?
スピリチュアルカウンセラーの方に言わせると、
そういう思いは、偶然では無いらしいから、もしかしたら、、、、はは。
聞けば、聞くほど、魅力的に場所ですね。

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biwakokayoさん、トンブクトゥの県庁前のロータリーにあるアルファルークの記念碑です。
http://www.gg.caltech.edu/~jibarry/MathEx/TomWeb4/pages/Alfarouk.htm

モスクの中は、涼しく、静謐で、とても凛としています。

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かよちん、
窓は、格子の部分と、その奥の開閉部分に別れています。

是非一度マリの北部を訪れてみて下さい!

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モノトーンの町っていいですよね。憧れます。
数日東京へ行ってきましたが疲れました。(笑)
人混みは疲れます。
新宿でカメラショップ巡りをしている時は疲れなかったのですが。(^_^;)

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素敵な記念碑ですね。
その後の写真も見ていたらTouareg_girl_in Blackという美しい女性が・・・。ご存知の方ですか?女優さんみたい。

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いなやん、トンブクトゥは大好きな町ですが、雰囲気が随分変わってました。
活気があるけれど、ごちゃごちゃしてるというか、
以前は、砂漠の中の砂漠に溶け込んだ町、という印象でしたが、
今は、砂漠に負けないぞ、とヒトが自然と戦っている感じです。
よそ者が批判すべきことではないですが、ちょっと寂しいです。

東京行き、お疲れさまでした。
妻もデーパーとの人ごみにすぐに疲れる方なのですが、宝石売り場では突然元気が回復します(困)
遊牧民て、移動しますから、女性の場合、家畜以外の財産はすべて体に身に付けています。
離婚しても持って帰れますから(笑)
だから宝石が大好き(号泣)

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biwakokayoさん、あの女性は存じません。
私は、トンブクトゥの町の西側や、そのさらに西のテントに住んでました。
ですから西半分の女性は、ほとんど知ってたりします(笑)
というわけで、あの女性は、私の馴染みの薄い町の東側の女性か、あのセレモニーのためにどこからかやって来た女性かなと。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年8月23日 06:06に書いたブログ記事です。

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