サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

鍛冶職人たちとの再会

| コメント(4) | トラックバック(0)
d0087256_204323100.jpg

サハラの遊牧民トゥアレグには、
金属や革の加工を代々行う人たちがいる。

かつてのように武具を作ることは少なくなったが、
砂漠の暮らしに必要な品々や、女性の装飾品を、今も彼らは作り続けている。

1999年2月、ダカールにて

ニジェール出身のトゥアレグの鍛冶職人たち。

d0087256_20472295.jpg d0087256_20473566.jpg

ニジェールやマリが内戦状態にあった1990年代前半に、彼らは難民としてセネガルに逃れて来ていた。
当時ダカールで暮らしていた私たち家族は、自立出来るまでとの約束で、彼らに部屋を与え一緒に暮らしていた。
1995年、私たち家族がダカールを離れた後、彼らは市内に部屋を借り、観光客相手の土産物や、セネガル人やそこに住むトゥアレグのための日常品やアクセサリーを作る仕事を続けた。
1999年、久しぶりにダカールを訪れた。
今度は私が彼らの家に世話になった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://sahelnet.org/mt/mt-tb.cgi/2238

コメント(4)

SECRET: 0
こんばんわ。
今日は、光の具合で、一枚目が好きです。
仕事をする人たちの写真は、始めてみたい密かなテーマです(^^;

SECRET: 0
彼ら自立したんですね。
おめでとう。

それにしても、いい光具合であります^^v

SECRET: 0
*j_capacityさん、
私自身も、光の加減が素敵だな、と思って撮った写真です。
その雰囲気が伝わってとても嬉しいです。

SECRET: 0
*ひらりんさん、
我が家を通過して行った「難民」は、セネガルで暮らした4年の間で100人くらいになるかも知れません。
金を稼ぎ国へ帰ったもの、セネガルに残り仕事を続けているもの、消息の分からないもの、いろいろですが、みな何とか生きています。
私たち家族が手を差し伸べなくても、皆きっと何とかしていたのでしょう。
それでも、少しでも彼らのお手伝いが出来たことが嬉しいですし、彼らの暮らしに関われたことは、私たちにいろいろなことを考えるきっかけを与えてくれました。

コメントする

このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2007年4月 9日 20:55に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「jujube」です。

次のブログ記事は「訃報」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。