サハラ砂漠にいると人がとても愛おしい。
子どもだけでなく、男も女も老人も誰もが。
砂漠では人が輝いている。
働いている姿だけでなく、座っているだけでも、眠ってさえいても。
それは厳しい自然の中だからこそ、自分の、そして他人の生をまざまざと感じるからだろうか。
だから砂漠にいると、何よりも人の営みを撮りたいと思う。
日本にいると生の実感が薄い。
生きることを意識しないで生きられるのは、きっととても幸せなことなのだろう。
しかし、そんな暮らしの中では、人自身でなく、人の作ったもの、使っているものに魅かれることが多い。
それを通して、そこにある「思い」のようなものを撮りたいと思う。
心を揺さぶる激しい音楽もあれば、心のささくれを癒してくれる優しい音楽もある。
自分の価値観を変えてしまうような深い思考の文章もあれば、静かに時が過ぎる軽くて気持ちの良い文章もある。
写真も同じ。
シャッターを押す瞬間、いつも何かを伝えたいと思うけれど、その何かはいつも同じではない。
大きな胸を打つ感動にはなかなか出会えない。
しかし、ふと心に響く佇まいや何気ない仕草や、作った人や置いた人の気持ちを感じる「もの」には毎日出会える。
日々出会う小さな気持ちを大切にし、それを切り取りたい。
日々の小さなかけらは和音のようなもので、それを積み重ねるときっとひとつの音楽になるはずだ。
だからいつも同じテーマで、いつも大きな感動だけを求める必要はない、最近そう思えるようになった。
撮りたいと思った瞬間に、撮りたいものを素直に撮る。
そうやって写真を撮りためて行こう。
砂塵の中、歩みを進めると
井戸が次第に姿を現してくるように
毎日写真を撮っていると
撮りたいものの輪郭が少しずつ出てきた
・・・のかなあ・・・
しかし撮りたいものを撮りたいように撮れる技術は持たないと!
追記
このブログのきっかけは、昨年の砂漠への旅と、たけやんの写真ブログ遊牧民的人生(それからToward The Landscapeの衝撃)。
たけやんの写真と文章には大きな影響を受けている。
そんな彼のブログ休止を残念に思っていたが、昨日再開された。
それを読み、嬉しく思いつつも、たけやんとは撮りたい方向性が違うことを認識。
しかし撮ることへの情熱は同じ(なんて師匠に失礼ですか)。
これからも刺激を受けながら、それを自分の写真の糧にさせていただきたい。
NOCTILUX 50mm F1.0が戻ってきた。
しばらくは、大好きなこのレンズをメインにして行きたい。
重いし、昼間はこのレンズらしい開放で撮れず大変だが・・・
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きたっ!好きですねぇ、この写真。
今日の夕方の光がすごくきれいで
窓を通して壁に映る色がいいぞ!と思って
カメラを構えたまでは良かったんですけど、
どうしようもなく散らかってたんで
カメラの電源をOFFにしました。(とほほ)
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*雲蔵さん、
いい写真のために、部屋を片付けましょう(笑)
コメント、ありがとうございます。
1枚目、よく分からない写真ですが(笑)写したかったものと写したかった色は出せた気がします。