サハラの旅から戻り、改めて砂漠の友人たちを写真に収めたいと始めた写真ブログ

人を撮ること

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前回の続き。

miraさん、貴重な時間を使ってコメントをいただきありがとうございました。
> jujubeさんのことではなく
と優しく書かれていますが、私自身ドキッとする(身に覚えのある)お話でした。
おっしゃられた点、これから写真を撮っていく上でしっかり考えていきたいと思います。

ただ、よく分からないことがあります。
その点について、miraさん、あるいは同じように感じられる方、教えてください。

撮られることへの怒りについて

私自身は思慮が足りないからなのか、プライバシーの問題意識が薄いのか、単純に写真に撮られることには抵抗がありません。
そのため、撮られることへの怒りが今一つよく分かりません。
(ただし「撮られ方」によっては、怒りで足が震えることだってあります。それは撮り方、撮る意図によって違います。)
黙って写真に撮られた時に怒りを感じる方は、それが例えどんな写真であっても怒りを覚えるのでしょうか。

例えば、
道を歩いているところ
妻とお茶を飲んでいる時
子供と遊んでいる場面
魚を釣り上げた瞬間
etc.
そんなシーンを撮られても怒りを感じるものなのか。

その怒りは、写真を撮られた自体への怒りなのでしょうか。
撮られた写真が公開されたことへの怒りを感じるのでしょうか。
私は、撮ることと、それを公開することは、わけて考えるべきかと考えていますが、どうなのでしょう。

また、例えばサッカーのスタジアムからのテレビ中継で観客としてテレビに映し出される場合や、テレビの街角の取材で通行人として映される場合はどうなのでしょうか。
違いがあるのでしょうか。

撮らせてもらった時の一言について

基本的には撮る前か撮った後に一言声をかけるか「写真を撮らせていただいてありがとう」という笑顔と会釈を心がけたいと思います。
今でも、話が出来る時には「ブログに載せてもいいですか」と尋ねています。
住所をお聞きしたり、再び尋ねられる所なら撮った写真を現像して持っていくこともあります。
仕事用とは別に、アフリカの話をしたり、写真を撮った時に使う名刺を持っています。
これにはjujubeというハンドルと姓名、そしてメインサイトのURL、メールアドレス、個人の住所などを記してあり、写真を撮った時にはこのブログのアドレスを書き足してお渡したりしています。
しかし例えば、祭りを撮る時、踊っている人や太鼓を叩いている人たちには声をかけられません。
名刺も渡せません。
言葉の通じない国を旅していて、バスの中で撮らせてもらった笑顔や、列車の窓から撮らせてもたった物売りの人々・・・撮らせてもらったことへの感謝を笑顔で伝えても、それ以上のことはできません。
そんな場合についてはどう思われますでしょう。

この問題には、万人に共通の答えはないのでしょう。
私自身、悩み、迷う部分も多くあります。
前回、コメントをいただいて改めて考える部分も多々あります。
批判を受けつつ、自分なりの答えを見つけていきたいと思います。
そのためにも忌憚のない、いろいろな考え方をお聞かせ下さい。
これからの写真について(これまでの写真も)、こんな撮り方はどうか、と思われた時は、遠慮せずコメントをお願いします。

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コメント(9)

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私が、長文のコメントを書いたため、余計なことを、考えさせてしまいました。一方的な書き方で、申し訳ありませんでした。
実は、jujubeさんが引用されたブログの方のご意見を読んで、「ちょっと、その開き直りは・・・」と思ってしまったのです。撮る側からだけの論理だと思いました。
jujubeさんが、無神経に人を撮って載せているという意味ではありません。おそらく、載せたくても載せられない写真がたくさんおありになるのではないかと思います。
私は、写真を撮られて、不愉快になる、ということはありません。
中学生ぐらいから、いきなり写真を撮られることが時々ありました。
また、テレビクルーが入っている場所に自分から行っておきながら、映されたと怒ることも、もちろんありません。問題は、撮影者がその写真をどう利用するかです。
私が怒ったのは、相当に多くの人が見る、新聞という媒体に無断で載ってしまったことです。その写真のために、人に誤解されることになってしまいました。
この時は、撮る時も、何も言わずに真正面からいきなり撮られました。撮ったあとも何も言われませんでした。
マナーの問題です。

続きます。

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今回の件に関係ないですが、写真ブログを見ていると、顔が認識できる状態で人を撮っておきながら、「このおばさんだけ、じゃまだったけど」とか、風景をねらっていて、なかなか人がどかないのを、「気が利かない」と書いたりしています。
また、最近どこにいっても一眼レフなどをかまえている人がいますが、被写体におおいかぶさり、動かず、人のことはおかまいなし。「人が映っちゃうんだよなぁ」と声に出して話す人もいます。
写真を撮る人のモラル。考えてほしいと思います。

勝手に掲載するのは、問題があると私は考えています。
例えば、自分や自分の子供が、自分があまり好ましくないと思うブログに、勝手に載せられてしまったら、どう思いますか?ということです。(くどいようですが、このブログのことじゃないですよ)

前回引用された「私は盗撮している。道に出ている人は誰でも撮ってもよい」というひらきなおりは、ちょっと考えてしまいます。
それを公開して、金銭を得ているのですから。
続けて、長文、大変失礼致しました。
このブログ大好きです。写真も、文章も。

SECRET: 0
私は1度だけ怒られたことがあります。
それは京都の露店で商品を買う列に並んでいて、
まだ順番が・・・と思って写真を撮りました。
逆光だったので商品は写ってもおばさんはシルエットになると私はわかって写したのですが、
おばさんは自分を写したと思われたのです。
カメラを向けるときには気をつけないといけませんね。
私の配慮が足りなかったのです。
いつもは声をかけてからですが、
この時はお客様を相手にされていたので・・・・。
自分の買う順番になった時にお話して目の前で写真は消しました。
カメラを向けられること自体がお嫌いな方もあるのです。

盗撮的な写真は見ていても不愉快になりますね。
撮られた人の身になって欲しいです。
そういう写真にはコメントはスルーです。

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自分は「何を撮ってもかまわない」と思っていますが、「何を公開してもかまわない」とは思いません。また、撮る行為によって周囲に不快感を与えないように配慮するのはマナーだと思います。

きっと、撮らない人にとってはその行為の意味がわからず、だからこそ不安を覚えるのでしょう。ましてそれが、どうみても自分を撮っている、ということであれば、不快に感じて当然です。

その相手と話して意図を伝えるのもコミュニケーションですが、そうできない場合にも、「どうしてあの人はシャッターを切っているのか」を想像させることができれば、たぶん相手の不安を拭うことができます。観光地やお祭りで、人々が警戒しないのはそのためです。

そうして撮った写真の公開には、まったく別の観点から十分な配慮が必要と思いますが、jujubierさんのブログを拝見している限り、非難される方はいないのではないかと思います。暖かい目線が伝わってきますから。

とはいえ仲睦まじいカップルが、後ろめたいことのない二人かどうかもわかりませんから、やはり個人を識別できる写真には特別に神経を使う必要がありますよね。

SECRET: 0
*mirasさん、
またお時間をかけて丁寧にコメントをいただき、ありがとうございました。
撮る側と撮られる側の気持ちのズレ
撮った写真の扱い方
これから更に注意していこうと思います。

写真に限らないこと
・相手の側を(出来るだけ)思いやること
・人と人との最低限のマナー
その上で、自分なりの判断をしていきたいと思います。

SECRET: 0
*かよさん、
私も「カメラを向けられることが自体が嫌いな人」がいらっしゃることを忘れないようにしたいと思います。

SECRET: 0
*tooriさん、
まず撮る時に相手を嫌な気持ちにさせないこと
させてしまった場合は素直に謝ること
撮った写真も相手を貶めないものであること
その上で、撮ることと、公開することの大きな差を忘れないようにしたいと思います。

SECRET: 0
写真も普段の生活も同じですよね!
相手の立場になってちょっと考えてから行動する、
これが地球という共同生活の場での基本ですもんね。

もちろんスナップの面白さは判ります。
でも、mirasさんのように問題になる事もある訳で、
判断基準や価値観は千差万別です。
なので、撮影という行為の前後にはできればお声がけを、
僕はそう思っています。

そしてデジタルならば撮影した画像を見せ、
ブログへの掲載の了承を得たり、相手に写真を送ってあげる、
そんな「心遣いと愛」があれば、どうでしょうか?

SECRET: 0
*microparisさん、
コメントありがとうございました。
相手の立場に立った撮影を、心がけたいと思います。

あいつはハンドルを握ると性格が変る、という言い方がありますが、
あいつはカメラを持つと性格が変わる、なんていわれないようにしますね(笑)

そもそも普段の暮らしから、相手を思いやる気持ちを持たないといけませんね・・・

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2007年7月22日 22:45に書いたブログ記事です。

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