ミャンマーで亡くなられたジャーナリスト長井健司氏の死を悼み、写真を撮らず、ブログを更新しなかった。
1990年代前半のマリの内戦で、戦時の人の狂気と憎しみの強さをまざまざと見せられた。
何人もの友人、知人を殺したあの内戦を体験し、戦争を激しく嫌悪する。
生き残った家族も心がねじ曲げられてしまった。
今では戦争映画でさえ見るのが辛い。
戦争に正義なんてない。
どんな大義名分のある戦争も、絶対に、数多くの普通の人たちの不幸を生むのだ。
戦争を体験した者は、自分の怒りをどう扱えばいいのだろう。
悲しみにどう立ち向かえばいいのだろう
故長井氏は紛争地を巡り、その報道を続けることがその答だったのだろう。
彼の行動には賛否両論あろう。
しかし一度戦火の狂気を知った者は、決して黙って目をつむってはいられない。
覚悟の上の選択だったのだろう。
弱い私は、戦争を体験しても、それを防ぐためとか伝えるために戦地に行くことはできない。
せめて、家族やマリの砂漠に暮らす友人たちと一緒に、子どもたちが幸せに暮らせる道を探していきたい。
幸せを守ること、それを写すこと、伝えることも、ひとつの道だと思いたい。
今、妻の国マリの北東部で、きな臭い話が伝わってきている。
その火種は残念なことに大きくなりつつある。
妻も私も、そのことをとても憂いている。
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