日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ネリカ米の普及について(旱魃−飢餓−貧困−砂漠化)

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コートジボワールのブアケから無事に避難された日本人の方の紹介で、「アフリカの食糧危機を救うと注目される「ネリカ米」の品種改良や普及のプロジェクトを進めていた日本人研究者」というくだりがありました。

そのネリカ米について調べ、考えてみました。

ネリカ米は、耐病性の高いアフリカ在来種と多収性のアジア種を交配した陸稲種で、次のような5つの特徴があります。

  1. 多収穫=1本の稲穂に西アフリカ種は70〜100粒、アジア種は200粒強。ネリカだと、肥料なしでも300粒近くになり、肥料を与えると300粒を大きく超える。

  2. 収穫が早い=種をまいてから収穫まで約3か月。在来の西アフリカ種より1か月以上も短い。

  3. 乾燥に強い=降雨量が年500〜600mmのサバンナ地域でも栽培が可能。

  4. 病害虫や雑草に強い=いもち病やアフリカタマバエなどへの抵抗力がある。雑草にも強く、草取りの労力が従来の1/3〜1/4。
  5. 高たんぱく=在来種は6〜8%、ネリカ米は9〜10%。

ネリカ米は1994年に開発され、1997年からは日本が直接または国連開発計画(UNDP)を通じて資金の7〜8割を援助し、技術者も派遣してその普及に努めています。冒頭記事にあった日本人研究者は、この活動のためにコートジボワールに派遣されていらっしゃるわけです。
ネリカ米は「アフリカの緑の革命」「アフリカの農業革命」「奇跡のコメか」と称賛され、国連、世銀からもアフリカでの「貧困対策と食糧安全保障の切り札」として期待されています。
私も、ネリカ米が西アフリカの穀物自給を促すことを切に願っていますが、その取り上げられ方や普及プロジェクトには心配も感じています。

9月4日のJapanTimesに、日本のNGO「マザーランドアカデミー」が、マリでネリカ米の普及を推進しているという記事がありした。
記事の中には、このNGO代表の "In addition, rice plantations help to prevent desertification, she said." という発言が書かれていました。
また毎日新聞の「奇跡のコメ」ネリカ には「悪条件の土壌や干ばつに強い」と書かれていました。

これらの記事を読むと、降水量が少ないことと、旱魃や砂漠化が混同されているように思われます。ネリカ米は、500mm程度の降水量の地域で栽培可能ですが、雨が降らないあるいは極端に少ない旱魃に耐えうるわけではありません。
また、朝日新聞の『ネリカ米(窓・論説委員室から)』(2002.09.25東京夕刊2頁)に「ネリカ米も陸稲だ。普及を急ぐと、焼き畑がさらに広がり、森林破壊がひどくなる恐れがある。」とあるように、使い方を間違えるとネリカ米が砂漠化を進めることにもなりかねません。
また雑穀に比べて、調理時間が長い(=薪の消費量が多い)、具を多く使う(経済的負担が大きい)などの特徴がある米食が、西アフリカ全土で一般的な主食というわけでもありません。主食の変化が、その地域に栄養学的に、経済状況に、生計活動に、ジェンダーや社会階層などなどに、長期的にどのような影響をもたらすのかまで考える必要があるでしょう。
さらには、地域内での米の増産が、必ずしも食糧の自給に直結しているわけでもありません。たとえば、マリのトンブクトゥ州では、生産量から見れば、現在も自給できるだけの米が作られています。しかし収穫された米の大部分は、すぐに販売量が多いガオやモプティなど国内の他の地域あるいは隣国に流れてしまっています。そのため、米の流通に関して最近初めて試験的に自由販売も試みられましたが、販売権を得た業者が与えられた便宜にもかかわらずこれまでと変わらない一般市場価格で米を販売したため、自由販売は消費者経済には何のメリットももたらさなかったという報告もあります。
輸入米が自国米よりも安いという状況もあります。それに加えて、ギニア経由で密輸米の流通も増加しているようです。
このような状況は、品種改良された米の増産だけで解決できる問題ではありません。
貧困や飢餓の原因も、食糧の自給だけで解決する問題ではなく(もちろん大きな要因ですが)、社会・経済学的なさまざまな要因を含んでいます。

旱魃、砂漠化、飢餓、貧困を明確に区別した上で、それらが複雑に絡み合って西アフリカのさまざまな問題が存在し、そのどれもがひとつの手段で解決するほど単純ではないことを改めて認識しなければなりません。そしていろいろな技術、経験を、地域住民を主体に多くの組織が共有し試みることが必要なのだと思います。
ネリカ米のメリットだけでなくデメリットも踏まえ、さらに品種的特徴だけでは解決できない社会・経済学的な問題に、どのような技術やアプローチで対処するのか、そこまで考えたネリカ米の普及活動が進むことを願います。

注:ネリカ米については、上記記事のほか、UNDPのネリカ米プロジェクト 日本語パンフレットや『「奇跡のコメ」ネリカ米、普及へ アフリカ(世界発2002)』(2002.05.01東京朝刊6頁)が参考になります。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2002年9月29日 17:40に書いたブログ記事です。

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