今日は娘と妻と鳥羽水族館へ。
鳥羽駅を降りると、夏の青空、涼しい海風、明るく広がる海、高い建物が少なく広々とした駅前のスペース。
「砂漠で育った私は、やっぱりこういう広い風景の場所がとても落ち着くわ」と妻。
日本生まれだけれど私もホッとする。
麦わら帽子を風に飛ばされないように押さえながら走り出した娘も、同じ気持ちなのだろう。
2002年9月アーカイブ
かめの遠足という歌をご存じですか?
娘が幼稚園で覚えて、歌ってくれました。
私が久々に感動した歌です(この歌の前に感動したのは中島みゆきの「糸」かな)。
こんな歌です。
昨日の続きです。
娘とかめの遠足を歌う度に、私もかめさんのように(強く楽しく)生きよう!と決意を新たにします(要するになかなかできない)。
でも同時に、かめさんがみんなと遠足に行けたら、それはまた楽しかったろうに!と思います。
そして、何とかならなかったんだろうかと、解決策を一生懸命考えました。
週末を東京の妹の家で過ごした妻は、久しぶりに喘息が出てしまいました。
東京に行くと程度の差はあるがいつも喘息になってしまいます。
夜中ゼイゼイと喉を鳴らし、苦しんでいる姿は見るのも辛いです。
私が西アフリカでインターネットを使い出したのは、5年くらい前でしょうか。
ほとんど電話もない地方にいましたので、首都に出た時だけ、インターネットを利用できました。
接続場所は、友人宅か町にある私設電話局(西アフリカにはこれがたくさんあります)でした。
娘と一緒にテレビ番組「中学生日記」を見ました。主人公の中学生が12日間フィリピンを訪れた話でした。
スモーキーマウンテンで貧しい暮らしをする同世代の若者との交流から、マニラの空港を離れる時に主人公が言った。
「日本で欲しかったものが欲しくなくなった」
「焦らなくていいんだ」
昨日の続きです。
サヘルで暮らした日々の「幸せ」を日本でもしっかりと感じられるようにするための反省。
パソコンや本やテレビじゃなく、妻や娘の顔をちゃんと見て、しっかり言葉を聞いて、たくさん話をしなくちゃ!
コートジボワールでまたクーデター(未遂)があったようです。
一般市民、隣国から出稼ぎに来ているの人たちの無事を祈ります。