日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

牧畜民と農民の紛争について

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3月5日に、ナイジェリアの牧畜民と農民の紛争について書きましたが、この問題についてもう少し書きたいと思います。

先日の問題について
・牧畜民と農民間のいざこざは、昔から両者の仲が悪いために起こってきた
・そして、それはしばしば大きな紛争になった
・今回の問題もそうだ
という固定的な見方をしてほしくないと思います。

当たり前のことですが、それはたったひとつの原因ではなく、いろいろな問題が同時に存在し、それが複合的に絡み合い、限界点を越えて起こった問題でしょう。

確かに、牧畜民と農民の対立には歴史的な要因もあります。
サヘル地域の主要牧畜民のアラブやトゥアレグは、奴隷として黒人系の人々を使役していました。
また牧畜民が村を襲う略奪行為もかつては行われていました。
これらは、黒人系の農民がアラブ・トゥアレグ等の牧畜民を敵対視するひとつの要因となっていました。
(現実には、黒人社会の中でも奴隷制度や社会階層がありましたが、それはこの問題には関係しないので、ここでは触れません)

しかし、それ以上に大きな、そして近代になって生じた両者間の対立要因がいくつもあります。

サヘル地域において、牧畜民と農民は、いわば分業活動を行うことで補完的に他方を支え合い、物質循環のサイクルの不安定なこの地域で生き抜いてきました。
比較的土地の肥えた場所では、雨期の天水や川の氾濫を利用して農作物が作られます。
この間家畜は、農地ではない広大な土地に、天水のみで生えた草や木の葉を食べて過ごします。
乾期になると、やせた土地の草は枯れ、あるいは食べ尽くされてしまいます。
すると牧畜民は、使われていない農地に家畜を連れてきて、収穫後の作物の残滓を与えます。
家畜はこれを食べ、農地に糞を落とします。
それが農地の肥料となり、翌年またそこに作物を作る助けとなっていました。
いわゆる共生関係です。

しかし近代になると、セネガル川を始めニジェール川にダムや堰が作られました。
これによって、季節を問わず農業が継続できる環境が整えられてきました。
耕作可能地域も拡大しました。
定住して農業を営む人々にとってそれは、所有する農地の拡大と生産量の増加を意味する素晴らしい出来事です。
しかし定住していない牧畜民は、土地の所有権や利用権を持ちません。
牧畜民にとってそれは、乾期の牧草地の減少、さらには雨期の牧草地の消失を意味しました。
生き延びるために、家畜を農地へ連れて入るために起こる牧畜民と農民の紛争がこれによって増えました。
さらには、農作物の生産量が増えたこと、医療状況の向上などにより人口が増加し、それに応じた食糧を確保するために、さらに農地の拡大に拍車がかかり、それが現在も牧畜に一層の圧力をかけています。
(また環境悪化には、牧畜民自身の過放牧による牧草地の減少という問題もありますがその問題については、別の機会に書きたいと思います)

住民の定住化によって安定して税収入が確保できるということから、サヘル地域の各国政府が積極的に牧畜民の定住化を進めようとしたことも、遊牧という「移動」を基礎とした生活に価値を置く牧畜民の反発を招きました。
このように、生業活動の違いが昔から牧畜民と農民の対立関係をもたらしていたのではなく、農業の促進や政策が、近年になってその対立を生み、それを深めてきたことを考えなくてはなりません。

さらに、サヘル地域のそれぞれの国が、1960年代の独立の夢と希望から、大きな経済的問題を抱える状況に転落していったことも忘れてはなりません。

セネガルにおいては、各地で雑貨屋を営み、成功し金持ちのモーリタニア人の存在は、つけ払い(Credit)を許していたが故に、一般民衆にとっては貴重ではあるけれども大きなプレッシャーでもありました。
マリの北部においても同じような状況がありました。
また、家畜は1頭売れば数千フランセーファーから数万フランセーファーになります。
現金収入源の少ないこの地域で、これは非常に高価な現金収入源であり、そのような財産を持った牧畜民は、農民にとっては、季節に関わらず必要な時に現金が得られるうらやましい存在とも見えたようです。
国全体の経済状況が悪化する中で、牧畜民あるいは牧畜民主体の民族の人々が、ステレオタイプに不満の対象となっている状況もあったわけです。

一方、厳しい地域に住む牧畜民の側からは、定住化や農業の促進だけでなく、医療、教育などいろいろな分野で、政府の政策の届かない忘れられた存在としての不満が次第に溜まっていきました。

このように、牧畜民と農民のいざこざや牧畜民が村や政府への反乱行動を起こしたという事件は、近代になって行われた政策や社会状況の変化が大きな要因となって増えてきた問題であり、経済状況の悪化による不満や羨望などもその要因であることを忘れないようにして欲しいと思います。

そしてサヘル地域では、牧畜や農耕という生業活動の違いが、そのまま民族的な違いと一致することが多いため、それがそのまま民族間の対立にすり替わることがしばしばあります。
(余談ですが、このようなステレオタイプのものの見方が、イスラム=悪、というアメリカの−少なくとも現大統領は、その様々な言動から隠していてもそう考えているように思えます−戦争へとひた走る行動に通じるところがあると思います)

ナイジェリアで起こった問題も、報道やナイジェリア政府、この問題に介入する機関が、ステレオタイプに牧畜民と農民の対立として済ませず、自然環境と社会的・経済的環境に起因するその地域固有の問題をしっかりと踏まえ、問題解決への糸口を探って欲しいと思います。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年3月 7日 20:42に書いたブログ記事です。

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