日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

成田へ

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マリに里帰りしていた妻と娘が明日の朝、1か月ぶりに日本に戻ってきます。
お土産をいろいろ頼んだ手前、荷物が多くて大変だろうと成田空港まで出迎えに来ました。
いえ、本音は早く会いたいからです。はい。

名古屋から成田までの飛行機は、F50という50人乗りくらいの小さなプロペラ機でした。
Fというとフォッカーですよね。
以前何度も乗ったマリの国内便(バマコ−モプティ−トンブクトゥ−ガオ往復)もフォッカーでした。
あっちは、年季が入っていて、離陸する時にコックピットと乗客室の間の扉がカパッと空いたり、ハエがブンブン飛び回っていましたが・・・
調べてみると、やっぱりF50はフォッカーでした。
もちろん機種は違うんでしょうが、懐かしくて、旅がさらに楽しくなりました。
雲海の向こうに富士山が見えました。

着陸前、眼下には稲の緑が広がっていました。
マリもこの季節バマコ辺りは、萌える緑の絨毯に覆われていますが、緑の下に透ける地肌はラテライトで赤茶けています。
マンゴとカリテの木が、緩やかな起伏にアクセントを添えてています。
千葉の水田を見ながら、そんなマリの雨期の風景を思い出していました。

空港近くのホテルに着いて、外を散歩していると蜩(ひぐらし)が鳴いていました。
実家の方はまだミンミン蝉の合唱です。
今年の日本は、いつ梅雨が明けたのか、いつ夏を迎えたのかよくわかりませんが、蜩の声を聞いて、ああ立秋を過ぎたんだなあと今日初めて実感しました。

さあ、今晩は期間限定独身生活最後の夜。
最後の夜更かし読書を楽しみます。
それからベッドに入って、妻から抱きしめるべきか、娘から抱きしめるべきか、考えながら眠りましょう。

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コメント(2)

最愛の家族が居る生活と、自分だけの生活は
スイッチする刹那が待ち遠しかったりやり切れなかったりですね。
うちは、明日、ひと月いっしょだった息子が米国に戻ります。
またひとりになれば本が読めると、強気に思う夜です。

さいとうさん、明日は辛いですね。

日曜日に映画を見てきました。
「名もなきアフリカの地で」

第2次大戦前、ドイツのユダヤ人迫害を逃れケニアに逃れたユダヤ人家族の実話です。
生活の変化とカルチャーショックの受け止め方の違いから夫婦と娘の生き方が離れていきます。
ある出来事のあと、早朝、夫婦のベッドに娘がやってきます。
川の字になって寝ている家族を見て夫が言います。
「このベッドの上に俺の幸せのすべてがある」

胸に染み入る言葉でした。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年8月19日 19:16に書いたブログ記事です。

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