日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

万博の5月の思い出

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ひと月以上も前の話になってしまいますが、3月末から5月末まで愛・地球博(愛知万博)のスタッフとして、マリのトゥアレグの人たちが3人、長久手町に滞在されていました。
3人は、マリ中東部のメナカ出身で、ご主人と奥さん、そしてグリオ(楽士)の男性でした。

小学校で

上の写真は、彼らの帰国前日、3人をわが家に招待した時に娘の小学校で撮ったものです(中央は妻)。

日本に着いてすぐわが家に連絡を頂き、すぐに宿泊施設に訪ねてみました。
宿泊場所になっているアパートに滞在しているマリ人は6人。
しかし寝具は3人分だけ。
仕方がないのでカーペットの上にごろ寝をしているとのこと。
冷蔵庫、洗濯機、空調設備はありましたが、食器が足りない、掃除機がないなど、生活に必要そうなものがいくつか見当たりませんでした。
そこで、マットレス、布団、毛布などの寝具、掃除機、マリの食材、物置にあった使わない古いテレビ、ラジカセなどを宿舎に差し入れました。

彼らの滞在中、宿泊場所には、万博会場以上に何度も足を運び、食材の差し入れをしたりしました。
8時半まで会場に滞在し、疲れて帰ってくる彼らに、妻は時々マリ料理を作ってあげていました。
彼らの休みの日には、名古屋やその周辺の観光や、買い物のおつきあいをしたり、わが家に招いたり。

仕事が終わってから、夜、長久手まで何度車を走らせたか。
帰路は疲れて眠くて、途中で運転を休憩したことも度々ありました。

でもそんな甲斐があってか、彼らには日本にとても良い印象を持って帰ってもらえたようです。
慌ただしく過ぎ去った2ヶ月でしたが、その2ヶ月を一番楽しんだのは、3人の訪問者以上に妻でした。

万博会場で、そして宿泊施設で、久しぶりに同じトゥアレグの女性とタマシェク語で思う存分会話している妻を見て、娘が私にこういいました。
「ママ、すごく幸せそうだね。顔が輝いてるね」
娘の目にも、妻の幸せがはっきりと見てとれ、娘にとってもそれは嬉しそうでした。

マリの女性マリの女性もうろ覚えの記憶を頼りに描いてみました。(写真がなくて;)
引用元:愛・地球博体験記: アフリカ マリ フランス語

先の写真の一番左が上のイラストの女性です
帰国の前日、娘の時間割にたまたま「音楽」とあったので、娘の学校に電話して
「マリの人たちが今うちに来ていて、ひとりはミュージシャンです。
よろしければ、子供たちにマリの音楽を目の前で聴いてもらったり、マリの話をしてもらえますが、どうですか?」
と提案してみました。
すると教頭先生がとても興味を持ってくださり、急遽、2限目は1年生から3年生、3限目は4年生から6年生のグループに時間を作っていただき、トゥアレグの音楽とお話をさせていただきました。
子供たちかいろいろな質問もあり、トゥアレグの人たちも楽しい時間が過ごせたようでした。

で、結局、肝心のヘナ模様の意味はわからずじまいでした(>_<)

引用元:同上

会場で同じ質問を何度もいただきました。
でも、彼女(ハジャラさんと言います)も模様の意味は知らないとのことでした(笑

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年6月29日 07:23に書いたブログ記事です。

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