日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ロンドンとイラクの命の重み

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今日読んで、一番考えさせられた文章でした。

ロンドンの一人の命とイラクの一人の命の重みは同じであるはずだ。ロンドンのテロの犠牲者の家族と全く同じ悲しみを、イラクのテロの犠牲者の家族は持っているはずである。しかし、この報道のされ方から受ける第一印象としては、どうしてもイラク人の命のほうが軽くみてしまうような気がする。だって、毎日のように起こっていることだから、報道する側も受け取る側も感覚が麻痺してしまっているのだ。

引用元:krbys.net :: 命の重み

だから、どこの命も同じように感じたいですね、と持っていけば、文章としては心地よいのでしょうが、非現実的な提案ですよね。
上のブログを書かれたkeitaroさんも、もちろんそんな風には話を結ばれていません。

同じできごとでも、知らない場所や興味のない事柄と、知っている場所や関心のある事柄では、その受け取り方がぜんぜん違ってしまいます。
たとえば、今回の息子の帰省に関する一連の投稿も、家族や友人にVTAが必要な人がいるかいないかで、興味を持っていただけた方とそうでない方が大きく別れたと思います。

先の文章を読んだときも、今のままでは、多くの日本人にとってサヘルは、マリは、いつまでも、「見たことも聞いたこともない、遠い場所」で終わってしまうだろうな、という寂しさを持ちました。

ですから、Live8もホワイトバンドも、愛知万博も、そしてこのブログも、サヘルやマリのことを身近に感じてもらう「はじめの一歩」としては、意義があると思います。
問題は、そこからもう1歩進んで、継続的に関心を持ってもらう「何か」があるか、ということだと思います。
一番手っ取り早いのは、サヘル、マリの友達を持ってもらうことなのでしょうが、それは日本中のどこでもすぐにできることではありません。
でも私たち家族の手の届く範囲だけですが、それを進めていくことはできますよね。
時々お手伝いさせていただいている愛知万博や、娘の小学校、妻の暮らしの交流などを通して、「万博で買ったあのネックレスの国の話」とか、「あの娘の国のこと」とか「この前食べた料理の場所のニュース」という風に、サヘルやマリについて身近に感じてもらえるきっかけをひとつでも多く作っていきたいです。
それから、妻の手料理や話、家にあるサヘルや砂漠の遊牧民の品々、娘とその友達の交流、それからこのブログを通して、その興味を継続的に持ってもらえればとても嬉しいですね。

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このところテロが続いています。
今日もロンドンでありました。
西側でテロがあるたびに、テロを行う側の国情を思います。
そういった地域ではいったいどれだけの人が不本意に亡くなったのでしょうか?
そういった地域での事件やテロは(たとえ西側が関わっていても)報道されません。そういう事実を「最近」知りました。愚かな事です。

今夜そんな事ををパートナーと話していました。
その中で興味深く思ったのは
52年生まれの彼は戦後の戦争責任についての教育を受けているようです。
ですが、彼の言うような戦争責任の教育は、68年生まれの私は受けていないと思うのです。
卑屈になるくらいの戦後教育を受けたと言っております。この言葉に関しては、ドイツ人の友人(私と同年代です)が似たようなことを言ってましたので何となく想像付きます。驚きなのは、そんな教育が日本で行われていたことです。
私は子供時代にそんな教育を受けてきたのでしょうか(定かでありません)?
受けてきたのだとしたら、何故それらの国に行く時に困惑するにでしょうか?
私にとって近隣の朝鮮や中国との関係性はどう考えていいのか分からない問題です。

話が飛んだようで申し訳ないのですが、他国のテロの根源を考えていると、どうしても身近な問題をを考えなくてはならないような気がします。
今、日本へのバッシングが中国や韓国なら強いようですが、
これにかんして控えめに受け止めていましたが、そうでない人もいるのですね。まったく混乱するばかりです。

murataさん、
コメントありがとうございました。

日本人の関心が向きにくいいわゆる中東などの「第3世界」
それから、私にとっては家族のいる場所でもあるサヘルやマリ
コレラの地域について、ひとりでも多くの人に関心を持って欲しいと思い、上の投稿をしました。

でもmurataさんがおっしゃるように、生まれた国の、そして住んでいる国の隣人のこと、隣人とのしっかりした関係もちゃんと考えていかないと行けないな、と反省しました。

外交となるとそれぞれの国益が絡んでややこしくなります。
自分のできる範囲の、1対1の個人のレベルで、もっともっと交流が深めたいと思います。
でもそれを始めから拒絶する人には・・・どうしたらいいんでしょうね。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年7月21日 20:58に書いたブログ記事です。

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