日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

シエラレオネについて

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日本では取り上げられることん少ない、シエラレオネについて書かれたブログ記事がありました。

シエラレオネの概況とともに国際協力機構(JICA)の「シエラレオネ国カンビア県子供の社会復帰支援」プログラムのプロジェクト形成調査の第一次現地調査の様子が書かれています。

本プログラムは、シエラレオネの未来を担う子供や青年(内戦により教育を受けられなかったものが多く、成人識字率は36%にすぎません)を対象に、教育を通してコミュニティ開発を支援していこうというものです。現地に行く前は、戦争で身も心も傷ついた「暗い子供達」を想像しており、子供達を元気づけることができるような活動(遊びながら学べる、映画会や歌や踊りやスポーツや遠足や学校菜園といった活動)を学校で実施していこうかと考えていました。JICAアフリカ部の部長さんからは出発前に、「本調査では、相手国政府と政策対話や議論ができるコンサルタントよりも、子供と一緒になって遊べるお姉さんのようなコンサルタントを選びました」と言われたくらいです。しかし、実際に現地に行き、小学校を訪ねてみると、明るい子供達の笑顔や歌声に囲まれ、心理的にはかなりほっとしました。なお、15才〜35才の青年達を対象にした職業訓練コースを視察に行った調査団員は、元・児童兵や戦争中にレイプされた少女達にも会ったそうで、目つきが鋭い、暗い顔つきの青年が多かったと話していましたので、本プログラムの対象も、子供よりも青年に重点を置くことが現在検討されています。


本プログラムの中身はまだまだ調査途中のため、これから詰めていかなければいけない状況ですが、ポイントは「どうすれば援助終了後も持続可能なコミュニティ開発活動を実現できるか」という点にあります。対象県のカンビア県を訪問すると、これまで持続可能性を考えずにやりっぱなしの援助を行ってきた残骸(使われていない職業訓練所、建設途中で放棄された学校、援助が終わると同時に解散した住民グループ等)についてあちこちで見聞きしました。シエラレオネのような国では、政府が援助終了後に活動を継続してくれるということはほとんど期待できませんので、プログラム自体の中に運営資金を作り出すメカニズムを導入して、援助後も自分達だけで継続していけるように指導をしていく必要がありそうです。
引用元:kiyokiyo's blog: 西アフリカのシエラレオネに出張して

個人的には、以下の文章について考えさせられました。

よく、シエラレオネの不幸は隣人(隣国)に恵まれなかったことだと言われています。シエラレオネはじめ、ギニア、リベリア、コートジボワールといった西アフリカの沿岸諸国は、一般に鉱物資源や食料に恵まれているといわれているのですが、どの国も政治的に安定せず、軍事独裁や内戦が絶えません(ダイヤモンドや石油という資源があるために内戦が起って、国民が犠牲を強いられた国は、この他にもアンゴラやナイジェリア等があります)。一方、内陸に入ったブルキナファソやニジェールは、サハラ砂漠の南端に位置しているため、資源が少なく気候的にもきびしいのですが、政治的にはわりと安定しており、住民には住みやすい国のようです。

引用元:同上

海岸部の国々は恵まれている(資源や食料がある)「のに」政治的に安定していないのではなく、恵まれている「から」政治的に安定しない、というのは皮肉なことですね。
確かに、資源がないサヘル北部の国々は、紛争を長期化させる資力もありません。

ものがないから争いの少ないサヘルの暮らし、人々の助け合いの文化を思い出し、個人的にもモノに振り回されがちな日本の暮らしを見直してみたいと思います。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年8月14日 08:44に書いたブログ記事です。

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