日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

マリの悲惨さ

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「みんなの旅の写真館」の中の「おかあさんのアルバム」子供達、若者達 1.A-M;Okasan's Travel Photo Album; children and the young 1 A-Mの中に、マリの子供たちの写真があります。
そして、写真を撮られた方はこんなコメントをされています。

学校、体育館、公園・・・無いのです。教師が(大人)が、岩の上で、地面に座って、その周りに子供達も車座になって、授業を受けているのです。

靴を履いている子は、ナシ。裸足です。送った写真で子供達が、たくさん立っているのは、外国人(おかあさん達 )が来たので、歓迎の歌を歌ってくれるのです。もちろんチップをもらうためです。

行く先々で、座ったり、立ったりして、大合唱です。
目的と言えば、何がしかのチップを期待しての行動です。
今日の日本の現状やヨーロッパ的な見方は、通用しません。

集まっている背景は、われわれの思いや想像のつかないこの国の子供達の置かれている現状の悲惨さです。

引用元:子供達 マリ共和国で 1

本当にそうなのでしょうか?
この写真の子供たちの瞳には悲惨さだけが映っているでしょうか。

もしかするとこの子供たちが悲惨な現状におかれていると考えることが「日本の現状やヨーロッパ的な見方」ではないでしょうか。
たしかに、サヘル地域の、十分な一般知識習得の場がないこと、経済的に貧しいこと、十分な衛生環境にないことには大きな問題があります。児童労働も大きな問題です。
しかし立派な校舎がなくても、先生と生徒がいれば学校です。藁葺き小屋の学校があちこちにあります。
また、家庭や村は、学校以上に学ぶことの多い教育の場になっています。家族の絆だけでなく、隣人も親代わりになってくれる社会があります。
大自然という、体育館や公園より遙かに広くておもしろくて(ルールを知っていれば)安全な遊びの場もあります。

私には、自然に触れて遊ぶ機会が少なく、塾や自殺やいじめがいたるところにある都会の日本の子供たちと、マリの子供たちの現状と、どちらが不幸せな状況にあるのか、自信を持って答えることができません。
サヘルを同情心からだけ見ず、また単純に美化もせず、その光と陰の両方を見つめていきたいと思います。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2002年10月 5日 18:48に書いたブログ記事です。

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