日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

コートジボワールのクーデター(その8)

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ニジェール政府は、女性や子供を優先して、バスでできるだけ多くのニジェール人を本国へ送還させることにしたと発表しました。コートジボワールにはおよそ7万人のニジェール人がいるそうです。

カカオの産地である西部 Duekoue ではカカオ栽培に従事する約4千人のブルキナ人が農園を追われ、カトリック教会などに避難しているそうです。

国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によれば、内戦の影響でこれまでにおよそ千6百人がコートジボワールからマリに逃げ込んだそうです。

反乱軍は、兵力をブアケなどの前線に集めており、12-13日頃に政府側に攻撃を行う予定だそうです。これでまた、一般市民の犠牲が増えてしまいそうです。

ネリカ米を研究している西アフリカ米開発協会(ADRAO)の本部のある M'Be はブアケのすぐそばで、過去のデータなどすべて置き去りになっており、このままではネリカ米の研究に計り知れない被害が出ると心配するスタッフのコメントもありました。協会にはまた、貴重なアフリカ在来種の米の遺伝子データベースも残されているそうです。人の命や幸せと同じように、お金では取り戻せない、苦労を重ねて蓄積された研究成果が、戦火に消えてしまいませんように。

ところで私は、アビジャンで外国人や北部出身者の排斥が行われていることから、一方的に政府軍側を批判しているわけではありません。
私が取り上げたいと思っているのは、内戦の陰で、あるいはその状況を政治的に利用され、犠牲になっている一般の人たちです。
反乱軍が意図的に占領地域の人たちに暴行を加えているという報告は聞いていませんが、車輌はロジスティックのため押収され、人々は日々の生業活動ができなくなっています。
さらに戦闘によって、住居は破壊され、巻き添えになる死者や負傷者も出ています。
こういう罪もない人たちの状況を追っていきたいと思っています。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2002年10月10日 19:01に書いたブログ記事です。

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