日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ネットに繋ぐということ

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メールを読み書きし、「お気に入り」のULRをひととおり読み終え、それでもまだ「何か」ないかと検索サイトを開いてキーを叩いていることがあります。
読みたい本や書きたいことがたくさんあり、そしてなにより大切な妻や子供たちがそばにいるのに、それらに背を向けてネットに繋いでいる時があります。

そんな時、ネットに求めているものは具体的なものではありません。
けれど、自分をわくわくさせてくれるものがネットの中のどこかにあるのではないか、
そんな「何か」との「出会い」の期待を持っているからでしょう。

その「出会い」は、出会い系サイトの男と女のそれではありません。
MLでの「議論」やサイトに書かれた情報や意見を通して得られる情報や価値観の「発見」や「考えるきっかけ」です。

突き詰めてみれば、そこに求めているのは、ネットを使い始める以前、書物、習い事、イベント、映画などに求めていたものと同じ気がします。
ただ、机に向かうだけで(あるいはパソコンを持ち出せばどこにいても)目の前に広がるネットの簡便さから、何にもましてまずネットをつなげてしまうのでしょう。

そしてもう一つの理由は、ネットの圧倒的な情報量でしょう。
その情報量は、今日ネットに繋がなかったために、見落としてしまう貴重な「何か」があるかも知れない、という不安感さえ募らせます。

しかし「何か」に出会える確率は、(例えば講演会と比べて)どうなのでしょう。
ネットによって自分の中に蓄積される情報の「深度」は、(例えば書物と比べて)どうなのでしょうか。
最近、そのことを考え直しています。

そして、年末年始は5日間、パソコンを開けずに妻と子供と過ごしました。
私の「世界」は何も変わることなく過ぎていきました。
いや、むしろずっと思い出に残る充実した日々を過ごしました。

今また、朝起きるとまずパソコンに向かう過去と同じ「日常」に戻っています。
けれど、今年は、ネットにつないでいる時間が少し減って、本を読む時間、書く時間、パソコンを開けず思索する時間、家族と過ごす時間がほんの少し長くなりました。

追記
今の自分の位置を確かめるために大切なことだと思うのでここに書いておくことにしました。
そしてこれは TrackBack した Hiroshi Yamato さんの salvageship.blog: いまさらなんですが、、、に触発されて考えた、というのはパラドックスでしょうか。
ネットには、こういう「出会い」があるから繋いでしまうんですよね。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年1月19日 11:23に書いたブログ記事です。

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