日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

複眼を持ち続けたい

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日本にいるとサヘルは遠く、サヘルを見る感覚が少しずつずれてくる気がします。

私はこれまで、次のようにサヘル地域と関わってきました。

 旅行者 (ミクロ、外側)
 住み込み (ミクロ、内側)
 NGOスタッフ (ミクロ、内側と外側)
 地元女性との結婚 (ミクロ、内側)
 ODA関係者 (ミクロ〜マクロ、外側)
 文化人類学的参与観察 (ミクロ〜マクロ、内側と外側)
括弧の中は、乱暴な判断だがその立場にある時の視点の位置です。

ラクダに乗ってモーリタニアからマリを横断した時期は、単なる「通過者」ではありましたが、低い視点から広い地域の人々の暮らしをを見ることができました。
遊牧民のキャンプに住み込んでいたのは旱魃が厳しい時で、飢餓的状況の中で地域の人々がどうやって助け合っているか、また難民キャンプと諸外国諸機関の援助の実態も内側から見ることになり、それが私のサヘルとの関わり方の一番の根っこを作っています。
NGOスタッフだった時は、外部の人間がある地域の開発にどう関わるべきなのかを考え続けた時期でした。
サヘルの女性との結婚は、彼女の属する社会と地域に私を深く結びつけてくれています。
ODA関係者(青年海外協力隊の調整員)としての経験は、隊員の数だけ地域に根ざした活動を学び、隊員の数だけ多くの問題があることを知る機会となりました。
大学院に籍を置いての学究的な調査や研究からは、それまでの経験と知識を自分の中で結びつける時間を得て、問題を複数の視点から分析したり、個々の事象だけにとらわれずテーマに沿って俯瞰的にものごとを捉えることを学びました。
2度目のODA関係者としての経験は、政府高官、国連をはじめ国際的援助機関のリーダー、NGOや各国ボランティアそして地域コミュニティの人々といろいろな議論をする機会を与えてくれました。
これらの体験の集積が今の私であり、サヘルとの様々な立場からの関わりによって得られた体験、知識、そして感覚が、サヘルとつきあう上での私のよりどころです。

しかし、(初めに書いたとおり)サヘルの暮らしから遠ざかっていると、地域住民、特に弱者に近い視点からものを見る感覚から、だんだん遠くなっていく気がします。
これは、常にサヘルに対して複眼でありたいと願っている私には、とても恐ろしいことです。

できるなら、パスポート以外何も持たずにサヘルに行って、1年くらい自分のヤギやヒツジを追って暮らしていたい。
それができない今、日本でできることは何でしょうか。
もっともっと、妻の思い出話を聞き、サヘルの家族の近況を聞き、サヘルの友人たちからの便りを読むことにします。
そうだ、カセットテープを送って、サヘルの友人たちにいろいろな話を録音してもらうのもいいかも知れない。
そして、ラクダを引いて来る日も来る日も歩き続けた時と、サヘルに初めて足を踏み入れた時の初心と感動を忘れないように、この町でも、どこに出かけても、車のフロントガラスから景色を眺めるだけでなく、自分の足で歩いて、空気を感じ、においを嗅ぎたいと思います。

遅くなったが今年の抱負です。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年1月20日 21:06に書いたブログ記事です。

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