青島から上海まで約 1000km、陸路で移動してきました。
仕事で途中何か所か漁村に立ち寄っての移動でした。
同行した人たちは村の貧しい生活に驚いていました。(塩田のある漁村)
私が驚いたのは、青島や上海の「豊かさ」とその変化でした。
上海は、今世界中でもっとも大きく変化している町のひとつでしょう。
しかし、その変化の方向は正しいのでしょうか。
それを確かめず、あれほどの速度で変わっていってよいのか、上海の変化の中心である浦東地区を通りながらそう感じました。
(上海:外灘)
少なくとも、青島と上海の間の漁村の暮らしは、サヘルよりも安定して見えました。
そこには、人間の尊厳を守るための必要最低限の物はあるように思えました。
物がないよりあった方が嬉しいです。
でもないならないなりに何とかやっていけることがたくさんあります。
日本や上海の多くの物はそういう表層的な物ではないでしょうか。
なくてもなんとかなる物よりも、家族や友人と過ごす時間の方がよほど大切ではないか。
しかし日本では、家族と過ごす時間が、なくても済ますことのできるものを獲得するための仕事に飲み込まれがちではないのか。
漁村で、母親に抱かれ安心しきって眠っている赤ん坊や、父親らしい男性に手を引かれ小走りについて行く小さな子供を見るとそう感じました。
そして、まずは、自分にとっての必要最低限の物とは何なのかしっかりと見極めなくては、と思いました。
今、世界は戦争に突入しそうな状況です。
それを考えると、必要最低限のものがあるなら、その次に考えるべきは、子供たちにつなげられる平和な暮らしだと、強く思いました。
世界中で反戦運動に参加した人たちも同じ思いなのでしょう。
私が子供に託したいのは、ものの豊かさより人のつながりから成り立つ幸せです。
だとすると、人と人のつながりが希薄になってきている日本、戦争への歩みを止められない日本に娘に連れてきてよかったのか。
なくてもよいものの氾濫や戦争の危険の中に、娘たち次の世代を放り出さないようにしなくてはいけない。
青島から漁村、そして上海を通った感想です。
(2003.03.15改)
おはようございます。
jujubeさんが書かれていること、
日頃からずっと思っていました。
こんな世の中や世界を、次世代の子供達に託していいものかどうか。
今大人達ができることは何なのか。
もう3人とも成人してしまった我が子が
小さな頃からずっと思ってきたことです。
でも、改善されないまま(それは私にも責任の一端はあります。)
それどころかその頃よりも、もっと不安定で先の見えない暗闇に
どんどん突き進んでるような気がします。
特にここ数年は。
自分達の出来る小さなことから始めたいと思っています。
コメント長くなってすみません。
> コメント長くなってすみません。
ぜんぜんかまいません!
というかとても嬉しいです。
子供ができると、自分の人生よりもそれがつながる先のことを考えますね。
本当に自分のできることを少しずつでも積み上げていきたいですね。
といいつつ、日本にいると、物欲に流されていて反省・・・
質問なんですけど、昔ながらの生活って今もあるんですか?
べつの書き込みという形でお返事を書かせていただきました。