日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

犠牲祭

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正装した妻にお茶をいれてもらう今日は妻にお茶をいれてもらってのんびり過ごしました。
今日は犠牲祭という祝日でした。
サヘル地方の多くの国では、明日が犠牲祭です。

犠牲祭は、アラビア語でイード=ル=アドハーと呼ばれ、巡礼の月(ズル=ヒッジャ:12月)10日に、マッカ巡礼の完了を祝う祭日です。
平和と寛容の精神を持ってこれまで隣人に抱いていた怨恨や悪意をすべて忘れて、友愛の精神で、この日を新しい人間関係を培う門出とすることが、この祭日の意義だそうです。

イスラム暦は太陰暦なので、1年はだいたい355日です。
つまり同じ祭日も西暦にすると毎年10日ずつ早く来ます。
ですから、断食の月や犠牲祭が真冬だったり真夏だったりして、祭日が季節感と結びつかないですね。

犠牲祭、ブルキナファソにて2001.3.6 犠牲祭、ブルキナファソにて
我が家のガレージがコンサートホールに

サヘル地方ではタバスキと呼ばれることの多い犠牲祭の日は、服を新調し、朝まずモスクなどに集まって礼拝をし、それから各家庭で牡ヒツジや牡ウシなどを生け贄に捧げ、肉を中心とした料理を訪ねてくる親類、知人、隣人たちに振る舞い、貧しい人たちにも肉を分配します。
1993年セネガルで迎えた犠牲祭では、我が家に100人以上の人が訪れてくれました。

マリだと、いつもは20,000〜25,000 F.CFA (¥4,000くらい)の牡ヒツジが犠牲祭が近づくとだんだん値が上がって倍くらいになります。
だから、早めに買っておく方が経済的です。
でも貧しい人ほど、なかなかお金の工面ができなくて、祝日の直前になって高い買い物をさせられているようにも思えます。
こういう状況は、この祭りの精神からはちょっと外れている気がします。

さて今年は、私たち家族は日本にいるので、ヒツジを殺しませんでした。
無理すれば手にはいるのでしょうが、とても高価ですし、何よりその肉を本当に必要としている人たちは、日本よりマリに大勢います。
そこで、ヒツジの代金をマリに送り、向こうで代わりに殺してもらうことにしました。
マリの中でも首都のバマコでなく、厳しい暮らしをしている人の多い北部のグンダムでと依頼しました。

明日の犠牲祭が、マリの人たちにとって普段にも増して幸せな日でありますように。

(2003.03.15改)

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年2月11日 23:27に書いたブログ記事です。

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