日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

高文脈コミュニケーション宣言

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サヘルと日本を往き来していると、食事、気候、言葉、習慣などいろいろな違いがあります。
サヘルを知ることで、それまで意識していなかった日本の暮らしについても再認識したり、驚くことがあります。
それから、サヘル、日本だけではわからないけれども、もう1か所フランスを含めたりすることで初めて気がつく、サヘルと日本の近さ、というものもあります。
3角測量と同じですね。
そして、最近フランスを3点目において、ようやく気がついたのが、日本と妻のトゥアレグ社会(おそらくモシ社会も)はどちらも高文脈文化の社会だと言うことです。

高文脈文化の社会とは、言語以外のいろいろな手段がコミュニケーションにおいて重要な社会です。
シチュエーションやコンテクストが非常に重要になります。
低文脈文化の社会では、コミュニケーションにおいて言語が非常に重要になります。

よく以下のような表が使われます。
 高文脈社会  日本人
        アラブ人
        ギリシャ人
        スペイン人
   ↑    イタリア人
        イギリス人
        フランス人
   ↓    アメリカ人
        北欧人
        ドイツ人
 低文脈社会  ドイツ系スイス人

日本は世界でも顕著な高文脈文化の社会なのですね。
そして、妻の生まれ育ったトゥアレグ社会も、アラブと同じような、高文脈文化の社会のようです。
しかし、高文脈文化圏同士の結婚であっても、それが異なる文化であればコミュニケーションの手段を再構築しなければなりません。
ここにふたつの選択肢がありました(そのこと自体は高文脈文化圏と低文脈文化圏の国際結婚でも同じですが)。

ふたりの間で
・高文脈文化的コミュニケーションを構築するのか。
・低文脈文化的コミュニケーションを構築するのか。

私は、フランス語を使ったサヘルでの仕事と暮らしから、低文脈文化的コミュニケーションの方が失敗が少ないと思いそれを選択しました。
今も家庭で、「言わなければわからないよ」、と言っているのは私の方です。
しかし、結婚後10年以上経って改めて考えてみました。
妻は、本当に低文脈文化的コミュニケーションを望んでいたのか、それが幸せなのか。

妻の社会が、低文脈文化の社会であれば、低文脈のコミュニケーションを選択したことに問題は全くなかったでしょう。
しかし日常生活を考えてみると、妻は今でも自分の高文脈文化的コミュニケーションを維持しています。
現状は夫婦のコミュニケーションの溝を埋めておらず、妻は心理的ストレスをため続けているのではないか。
日本の連れてきたために、このことによる妻のストレスはとても大きくなっているのではないか。
このことを考え始めたら、悩んでしまいました。

そこで結論として「高文脈コミュニケーション宣言」です。

国際結婚には「以心伝心」はない、言葉によるコミュニケーションをしなければ、よく言われますが、異文化間の国際結婚でも「以心伝心」「高文脈コミュニケーション」ができないだろうか、その努力をしてみようと思います。
これは、高文脈文化圏同士の結婚だからこそ可能性があるのではないかと思います。
どこまでできるかわかりませんが、妻の社会の高文脈コミュニケーションを、学び始めてみようと思います。

あ、実はもうひとつ課題があります。
それは、妻のポリクロニックな時間感覚と私のモノクロニックな時間の問題です。
こっちは、あまり妻にあわせ過ぎちゃうと、日本の中ではひんしゅくをかってしまうんですよね・・・

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How do you say "kou-bunmyaku-shakai(bunnka)"

in English?

I(male,25,have been in usa for 3 yrs)

am a Japanese student at a college in USA.

One of my good friends, a Swiss girl,

is "Tei-BunnMyaku"!!! This is exactly what

i wanted to say!!!! i have to tell her

everything what i am thinking/feeling.

Interesting! Arigato!!

We call it "High context culture communication" in English.

You can find this term/concept in "Beyond Culture" (1989, Doubleday) of Edward T. Hall.

He also wrote "The Hidden Dimension" (1997, Doubleday) that talks about the importance of "Nonverbal communication".

Marshall R. Singer said that a facilities of a communication depended on a degree of sharing identities in "Perception & Identity in Intercultural Communication" (1998, Intercultural Press) .

And I recommend "Basic Concepts of Intercultural Communication: selected readings" (1998, Intercultural Press) edited by Milton J. Bennett too.

Because this is very useful to understanding many concepts of Intercultural Communication.

こんにちは。

最近、異文化コミュニケーションに興味を持ち、Hallの"Beyond Culture" を読んでいる学部学生の者です。

M timeやP timeはなるほど…!と思って読み進んでおりましたが、"Man as extension"の章に出てくる "process of extension" の部分がどうも私には理解しづらくて困っております。

「延長の過程」とは一体何を示しているのでしょうか?

ここにふさわしくない書き込みでしたら、削除して下さって構いません。

もしご存知でしたら力を貸して頂けると幸いです。

piyopiyo さん、

ホールの本が見つかりません。

というわけで "Process of extension"・・・記憶にありません(おい、こら)。すみません。

Extension は、直訳すれば「延長(物)」ですが、「(補助)装置」というか今風にいえば「ツール」というか、そんな概念ですよね。

この「装置」について私が覚えているのは以下のような考え方です。

人間だけ(なんとか鳥もそうでしたっけ)が「延長物」を使い、それによって進化を飛躍的に早めた。

人間は身体よりもむしろ「延長物」を使うことに専心し、それを高度に使いこなすようになった。

進化した人と「延長物」の影響は環境にまで及ぶ。

そして人と環境の相互作用で作られるのが「文化」である。

つまり「延長物」を使う「過程」で「文化」がどのようなものか決まる。

これではご質問の答えには遠いかな・・・

間違った解釈をしていたり、嘘を言っている可能性も大きいです。

あんまり信用しないで個人的なとらえ方として聞いておいてくださいね。

jujubeさん

さっそくのご返答ありがとうございました。

「答えには程遠いかな…」とありますが、そんなことありません!大変助かりました。補足いただいたことで、もう一点曖昧だった延長物の転移 "extension transference"もはっきり見えてきたように思います。まだまだ読解力が足りないようです…。頑張らねば!

本当に丁寧な解説をどうもありがとうございました。

また時々おじゃまさせて頂きます。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年3月27日 06:34に書いたブログ記事です。

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