日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ワガドゥグのピザ

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昨日、高文脈コミュニケーションの話でブルキナファソのモシもそうではないかと書きました。
そう書いて思い出したエピソードをひとつ。
アカデミックな分析じゃなく笑い話として聞いてください。

サヘルで働いていて、経験から学んだ教訓がたくさんあります。
・一度にたくさんのことを頼んではいけない
・ひとつの依頼の内容が10のときは、20くらいの説明をしておく。
などなど。

例えば、セネガルのダカールやコートジボワールのアビジャンでマルゲリータ・ピザが食べたい時は、頼む人に
「マルゲリータ・ピザを買ってきてください」
だけではうまくいかない危険が高いです。

「サイズはMとLがありましたがどちらがいいですか?」
「マルゲリータという名前のピザはありませんでした。ベジタブルピザならありましたけど」
「生地は薄いのがいいですか、厚いのがいいですか」
「店員に、10,000フランではおつりがないと言われました」
とこの会話の数だけ、頼んだ人に自宅と店を往復してもらうことになるかも知れません。

「大通りのアリババに行って、野菜だけ入ったピザを買ってきてください。野菜だけのピザはマルゲリータ・ピザという名前です。まあ名前が違っていてもいいから野菜だけのやつを頼みます。生地は薄いやつでね。サイズはMサイズでお願いします。中サイズはたぶん1,500フランくらいのはずです。」
これくらいの説明をしておくといいでしょう。
(蛇足ですがピザが2枚以上の時は、必ず注文をメモ書きにして渡しておくべきです−これは日本でもそうですね)

要するに、頼んだ以外のことは自分で判断してもらえないわけです。
ただし、これは必ずしも悪いことではありません。
状況によってメリットもありデメリットもあることだと思います。

さて、ブルキナファソの首都ワガドゥグで、昼時、運転手にピザを買ってきてくれと頼みました。
彼は1時間くらいしてようやく帰ってきました。
包みを開けてみるとそれは、ピザじゃなくクレープでした・・・

彼が説明を始めました。
頼まれた店に行ったら、もうピザがなかった。
そこで、他にピザを売っている市内の店を2軒回ってみたが休みだった。
しかし、おなかがすいているだろうから、ピザに似たものでも買って帰った方がいいだろうと考えて、最初の店に戻って、クレープを作ってもらって買ってきた。

20年近くサヘルにいて、こんな経験は初めてでした。
普通は、初めの店にピザがなかったら、
「売ってなかった」
と帰ってくるものです。

うーん、モシの人は言葉だけで判断せず、そこから相手の意図を読み取ろうとしていろいろ考える人たちなんだなあ、とクレープを食べながら感動してしまいました。
そのほかにも、モシの友人たちからは、こちらの意図を読み取って一歩先のサービスをしようという行動にたびたび出会いました。
でもたいていは、こちらの意図と大きくズレるんですけど・・・

フランス人からブルキナベは「偽善的」だという感想を聞いたことがありました。
それはまさに、低文脈文化の人が高文脈文化の人に対する印象の典型ですよね。
ブルキナべに親近感を持つ日本人が多いのは、同じ高文脈文化圏に属するから、というのもそのひとつの理由かも知れませんね。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年3月28日 05:00に書いたブログ記事です。

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