日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

他者への依存あるいは共生

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ラン科植物は、植物界で進化の一番進んだグループの一つだ。しかし、基本的に多くのラン科植物は、岩や木の幹にへばりつくように着生しなければ生きてゆけない。また、種子は粉のように細かく、一つの花からできる房に数万から数十万もの数の種子が入っているが、種子と水だけでは発芽することができず、根元に住んでいる菌の力を借りなければならない。重要なところを他に依存しすぎているんじゃあないだろうかと思うが、植物の進化って一体どういうことなのだろう?

引用元:daily bLog by snotch : Orchid

単独でどんどん増殖できる種というのは、生態系全体から見れと、とてつもなく危険な存在でしょう。
ランの話を読んで、全体のバランスとフィードバックの中で、生存条件が決まるというのは、総体的に見ればもっとも持続的な共生関係ではないかと思いました。

地球上におけるヒトの存在、政治・軍事力のバランスにおけるアメリカ合衆国の存在などについて、考えさせられますね。

周りによって自分が生かされている状況は、ともすれば運命論的になりがちかも知れません。
しかし、だからこそ謙虚に、素直に、自分の生を感謝できるのではないでしょうか。

サヘルの自然の中のヒトの立場は、かつては、自然界のランの立場に近かったと思います。
グローバリゼーション、人口増加、「近代的」な社会制度・行政の浸透は、それを否応なく変えつつありますが。

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コメント(4)

こんにちは(^^

進化とは、生物全体が微妙なバランスを保ちながら共存してやっていくための、知恵を蓄えてゆくプロセスだという解釈ができたら、素敵です

snotch さん、いらっしゃいませ

人間は本当に進化しているんでしょうかね。

退化しているか、百歩譲って横方向に変異しているだけじゃないかと思えてなりません。

サヘルの意味を教えてもらったishikawaです。

ぶっきらぼうなメールに丁寧に答えてくれて恥じ入ってます。

 あれからこのサイト内を旅行していたら私の好きな話題が有ったのです。

一言、宜しいでしょうか?

と、言いながら許可なく投稿していますが・・・

 人間は進化(進化を多くの人が進もうとしている変化と定義すれば)しなければいけないのでしょうか?

 人間は無理せず与えられた環境で変化せずに生きるのが一番むずかしいと私は思うのです。

 だから多くの人が安易な生き方として進化を選びそれに伴う争いを起こすのでは思うのです。

余計な事を書きました、ありがとうございます

進化は誤解を招きやすい用語です。

この話の場合、むしろ環境への適応と考えるとわかりやすいですね。

一定の環境に適応した種は他の環境では生きられないかわりに、

その環境では他の種との生存競争に打ち勝って優勢でいられます。

もちろんその環境が失われれば自らの種も消滅する危険性がありますが、

生存競争に負ける可能性に比べれば低いものです。

ヒトは脳を巨大化させてあらゆる環境に適応するすべを学ぶことで、あらゆる環境で生存できるようになりました。

しかし人間の知恵ではどうしようもないものもあります。

旧ソ連の人々は科学の力で不毛の草原に農地を作ろうとしましたが、その結果は無残な失敗に終わりました。

そのソ連に勝ったアメリカは、全世界にたった一つの方法で適応できると信じているようですが、果たしてそんなにうまく行くものでしょうか。

私には疑問に思えます。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年4月13日 22:54に書いたブログ記事です。

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