日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

砂漠の魅力

| コメント(9) | トラックバック(0)

地図にないしるしへのコメントで、
沙漠の魅力って、言葉では言えないですね。
とTAKE C さん。

砂漠に魅せられているのは、私やTAKE C さんだけではない。
そこで生まれ育った遊牧民は、私たちよりはるかに砂漠を愛している。

砂漠は、厳しく、大きく、そこでは、ひとりの自分が如何に小さな存在か自覚し、謙虚になれる。
人ごみの中に戻ると背伸びをしてしまうけれど、飾りを捨てた自分が懐かしくて、また砂漠に戻りたくなる。

成功して町に大きな家を建てた遊牧民たち、あるいは開発でテントを離れ、煉瓦やコンクリートの住居を与えられた遊牧民たち。
そんな彼らの多くが1日の大半の時間を過ごすのは、家の中ではなく、きれいな砂を敷いて家の前に張ったテントの中だ。

友人の中には、ラクダを売って金持ちになった(元)遊牧民がいる。
あるいは商売に成功した金持ちの砂漠出身のアラブ商人がいる。
公務員、NGOや国際機関のスタッフとして、首都で働く砂漠出身の人々がいる。
彼らはみな、時間がある限り砂漠へ向かう。
そこに家族や友人がいるから。
そこがふるさとだから。
しかし、一番大きな理由は、単純に、そこが砂漠だからではないだろうか。

彼らにとっては砂漠は問題の種ではない。
家畜の食べる草木がないこと、草木のための雨が少ないことが問題なのだ。
これはまったく違うのだ。
雨が降れば砂の上にも草が生える。
草が生えないほど砂の動く砂丘ももちろんあるけれど。

砂漠の砂は彼らにとって決して汚いものではない。
服や顔についた砂も、乾燥していれば、さっとはたけば落ちる。
テントの中に、時には家の中にさえ、ふるいにかけたきれいな砂を敷いたりする。
神に祈る時、水も石もない砂漠の中では、きれいな砂の上に手をついて沐浴の代わりにする。
礼拝の絨毯がない時には、きれいな砂の上で祈る。

私は砂漠を想う時、こんな風景が頭の中に浮かぶ。

砂丘の上で夕方。
ちょっと小高い砂丘の上に友人と座っている。
砂丘の砂は、さらさらでちょっと赤みがかった色をしている。
ふたりとも砂の上に足を投げ出して、片肘をついて座っている。
たわいもない話をしている中、日が次第に傾いていく。
暑かった1日が終わろうとしている時だ。

昼間の暑さは夕風に吹きやられ、砂の温度もだんだん下がっていく。
私は、足の先をさらさらの砂の中に潜らせたり、指の間から砂時計のように砂を落として、冷たくなってきた砂の感触を楽しんでいる。
風が、汗ばんだターバンや服をはためかせると、体のまわりにも涼しさが溢れてくる。
肩の後ろには、小さな七輪にかけたお茶が、湯気を出し、ちんちんと音をたてている。

足下にはキャンプがあり、近くのテントの側では、妻が料理を作ってくれている。
子供たちが、歓声を上げながら砂の上を裸足で走り回って遊んでいる。

たっぷりと草を食べ、水もたらふく飲んだヒツジとヤギたちがテントのそばに帰ってきた。
もうすぐ生まれそうな子供で腹が大きくせり出しているヒツジやヤギがいる。

急須を高く上げ、泡をたててコップの中にお茶を注ぎ込む。
お茶の中のミントの香りが鼻をくすぐる。

青空は次第に夕焼けに染まっていく。
砂丘と同じような色になったかと思うまもなく、みるみる色を増し、世界中が赤く染まる。
一瞬、あたりがとても明るくなったかと思うと、太陽が地平線の雲の後ろに沈み、空も砂丘も急に色を失っていく。
東の空は濃い藍色で、いつの間にか星が瞬き始めている。

お茶も飲み終わった。
砂と一緒に砂丘を滑り降りて家族のもとに帰ろう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://sahelnet.org/mt/mt-tb.cgi/139

コメント(9)

本当に砂漠がお好きなんですね・・・
この写真と文章を読んで、私はガオの砂浜(ニジェール河の岸辺)で過ごした夕暮れを思い出しました。
まさにそのとき、お祈りの時間で、川の水で洗った後、お祈り。
バスで移動中には砂で手を洗ってお祈りでした。
日記を読ましていただいていると、幻想的な風景がよみがえってくるようです。
マリ初心者の私ですが、これからもいろいろ教えて下さいませ。

以前書かれていた、セネガルの「カフェ・トゥーバ」についてですが。
コーヒー豆とjar(マリ北部ではwakondとかいう、fakfoyなど料理に使う香辛料のこと)を一緒に煎って、臼でついて粉にしたものを、普通のコーヒーを入れるようにお湯を注いでこして飲みます。(注:砂糖はたっぷりめで)
私も好きで、見つけては買って飲んでいました。
(自分で入れると、入れる砂糖をつい少なくして、おいしくないので)

いやぁ...jujubeさんの頭の中に浮かんだ風景、まるっきり私がアル・アインでやっていたことと同じです(笑

沙漠に行くと真っ先に砂丘のてっぺんに上り、そこから沈む夕日を眺めていました。私の場合、飲むのはガホワ(湾岸式あらビックコーヒー)でした。飲むというよりは、殆どベドウィン親父たちに注がされてましたけどね(笑

初めて沙漠の上で何も敷かずに礼拝をしたときの気持ちは忘れられません。モスクでするのとはまた違う感覚がしました。

さっきお誘い電話が入ったので、明日は仕事を終えたら沙漠へ行って来ます。

bakumba さんは、アドレスからすると banabana.com の関係者の方でしょうか。

> 本当に砂漠がお好きなんですね

「好き」を突き抜けてます(意味不明)。
アイデンティティは、半分が日本人で残り半分は砂漠の民かも。
極端な話、生まれて20年日本、後の20年砂漠ですから。

カフェ・トゥーバの説明ありがとうございました。
コーヒー豆は使っているんですね。
それとワコンドですか。
今家にあるので、週末にでもカフェートゥーバもどきを作ってみます。

これからもよろしくお願い致します。

TAKE C さん

いつか、サハラかドーハの砂漠で、一緒に砂丘を上って、お茶かコーヒーしましょう。
ホントに!
お茶なら、とってもおいしいミントティを私がいれます。
コーヒーならTAKE Cさんにお願いします。

アル・アインだと礼拝は夕日の方向でしょうか。
サヘルでは夕日を背にするんですよ。

そうそう、アル・アインでは西、夕日の沈む方向に向かって礼拝します。

砂丘の天辺に座って日が沈むのを眺め、日没がきたらアザーンをします<これでも一応ムアッズィン(笑

ドーハは南へかなり下らないとデューンがないので、それだけがちょっと不満です。あったらあったで、高価な四駆が欲しくなるのが問題ですが(笑

話は結構ずれるのですが、遊牧民の人は夏はどこに移動したりするのでしょうか? もしご存知でしたら教えてください

> 遊牧民の人は夏はどこに移動したりするのでしょうか?

モーリタニアの遊牧民の中には、数百kmも移動するグループもあります。
マリやニジェールでは、それほどの距離は移動しませんね。
いずれにしても、夏か冬かという寒暖の差によるためでなく、遊牧民の生活の糧である家畜の食べる草と水がどこにあるか、が移動の決め手です。
乾期は、井戸の近くで草が少しでも多く残っているところ、あるいは川に近いところ。
雨期は、川や井戸から離れていても、何ヶ月も水が溜まり回りに草も生えている砂漠の奥のくぼ地の周辺にテントを張ることもあります。
定住して作物を作っている農耕民とは、乾期に滞在場所がバッティングして紛争が起こることもあります。
農耕跡地に家畜が入り、収穫後の残りを食べて糞を残し、それが次の季節の耕作物の肥料になる、というのが伝統的で理想的な牧畜民と農耕民の共生関係でした。
しかしどちらも人口が増加し、必要な土地が増大し、その共生関係が崩れつつありますね。

こんにちは(^-^)
文章を読んで、暮らしを見つめる心が豊かだなぁと思いました。私も砂漠へ行ってみたいと思いました。

今日は、私の夫がこんなことを言ったので、書きます。

「砂漠に住む人たちには本当に必要なものしか見えない。」夫が、僕はそう思うんだよ。といいました。生きていくことが厳しい世界だからこそ、自分に本当に必要なものを知って、感じて、みつめること、大切にすることが出来るんじゃないかと・・・。

そうだとしたら、それは、とても豊かなことだと思いました。
夫の言うことは、少しは、的を得ているのかしら・・・

夫がいったこと、訂正させてください。すみません。

彼は「砂漠に住んでいる人たちは、本当に大事なものが見える。それが出来るだけ早くわからないと命にかかわることもたくさんあるだろう。」僕はそういう風に思うんだ。と言いたかったのだそうです(^^;

コメントする

このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年4月13日 00:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「フランス−ブルキナ便」です。

次のブログ記事は「他者への依存あるいは共生」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。