日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

インシャアッラー

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「ボクもね、来週バマコに帰る予定なんだ。でも、仕事があるから、まだ帰れるかどうかわからないけどね」そう言うと再びホウキを持ち上げはにかんだ笑顔を見せた。

私は彼が来週マリに帰るのは「ウソ」だと知っている。そんなお金なんてあるはずないから。
彼らはいつも希望をまるで本当の出来事のように語る。だからそれは「ウソ」であっても、「ウソ」ではない。
叶わぬ夢を語って、夢をつむいでいく。

引用元:マリからNOW!!

それは彼にとって本当に叶わぬ夢だろうか?

綿密計画を立てても、どんなハプニングがあるかわからない。
自然環境の不安定なサヘルではなおさらだ。
生活を支える牧畜や農業において、どれほど努力しても、常にリスクを抱えている。
楽観的な胸算用は失意と隣り合わせだ。

その一方で、どんな絶望的に見える状況でも、これまたどうなるかわからない。
だから希望を失わない。
行き詰まって自殺という考え方はない。

こんな考え方からは、長期的な展望は生まれにくい。
そして彼らのいい加減さと明るさの根っこもここにある。
約束が守られない、破られても気にしない、という気質もここにあるようだ。

Dickoさんの出会った青年の「計画」を、彼はそれが叶わぬ夢と思っていなかったのではないだろうか。

もしかすると、今日家に帰ると、おじさんが訪ねてきているかもしれない。飛行機のチケットを持って一緒に帰ろうと。
もしかすると、宝くじが当たるかもしれない。
だれも明日のことはわからないのだから。

Tomorrow is a new day.
Demain il fera jour.
インシャアッラー(神の思し召しのままに)

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コメント(3)

jujubeさんの文章っていつも懐が深いですね。
Dickoにこの文章を送っときます。
かまいませんよね?

> Dickoにこの文章を送っときます。

どうぞ!

初めまして。如月と申します。

しばらく前からHPを拝見させていただいていました。

内容には直接は関係ないのですが(ごめんなさい!)、
文章の終わり方が懐かしい思い出を思い出させてくれました。
ありがとうございます。

「インシャアッラー」という言葉を私が知ったのは父からです。
父は私が生まれる前にイスラム圏に住んでいた事があり、そこでの話をしてくれた時に教えてもらいました。
父が言うのを真似て(記憶するためにも)「インシャアッラー」と言ってみるのですが、発音が全然違うと言われます。
私は当時10代前半だったので意地になっていろいろと試すのですがやっぱり違うと言われます。
「父自身自分の発音が違う事を認めているのだからそれを参考にしている私には尚更無理だろう」
などと悪態をつきながら、何度も試して、何度も違うと言われていました。
そして、合間にどういう言葉なのか、どういう使われ方をしているのかを教えてもらいました。
父と私は今違うところに住んでいます。
だから、余計にこの言葉と父が懐かしく感じました。ありがとうございます。

この青年の話はまさに「(私の知っている範囲の)インシャアッラー」を使うのに適していますね。
彼が帰れますように!
最後に。もしこの言葉が宗教的な意味を持つが故に、私が口にした事でご不快に思われる事があったなら、申し訳ありません。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年7月 6日 21:02に書いたブログ記事です。

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