日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

リベリアの内戦

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テーラー大統領の退陣を求める反政府勢力「リベリア和解民主連合」(LURD)と政府軍の戦闘が首都モンロビアで激しさを増している。(中略)チェア国防相はこの数日間で民間人600人以上が死亡したと述べた。
(中略)テーラー大統領は21日、国外退去はせず、徹底抗戦する姿勢を示したことから、市街戦が避けられない状況となっている。
(中略)(米)大使館には国外脱出を求める市民が殺到しているほか、一部の市民は、米国の平和維持軍が到着しないことに抗議し、戦闘犠牲者の遺体を大使館前に並べているという。

引用元:asahi.com : 国際 リベリアの内戦悪化、600人以上死亡と国防相

リベリアはますます混乱を深めています。

西アフリカ15か国からなる「西アフリカ諸国経済共同体」(ECOWAS)は23日、セネガルで加盟国の外相や国防相などを集めて緊急会議を開き、1週間以内に1,300人規模の「西アリカ諸国平和維持軍」(ECOMOG)を派遣することを決めました。
リベリアの内戦は、西アフリカ全体、そしてUSAをはじめ世界を巻き込んでいます。

リベリアは歴史的に、USAと深い関係があります。
19世紀初頭に奴隷制反対運動が広がったため、1822年、アメリカ植民協会が黒人解放奴隷の再入植の地としたのが、この国の現首都モンロビアでした。町の名は当時の大統領 J. モンローにちなんでいます。
この地では、内陸部住民による差別・圧政への抵抗が続き、USAから財政援助を受け、USAドルがそのまま公式通貨として使われ、USAとの経済的な結びつきは長く続いてきました。
また国内では、解放奴隷として再入植した人々の子孫(アメリコ・ライベリアン:人口の8%)と先住民のグループの対立に根差す紛争が長く続き、1989年に武装蜂起から内戦状態になりました。
1990年にECOMOGが停戦監視のために派遣されましたが、武装解除が進まず、1996年のECOMOGによる直接介入まで内戦が続きました。
1997年現テーラー大統領が就任。
しかし2002年最大の反政府勢力「リベリア和解民主連合(LURD)」が蜂起。「リベリア民主運動(MODEL)」も加わり内戦が再発し現在に至っています。

世紀を越えて再び内戦が活発になり、覇権を求める武装集団だけでなく多くの市民がその犠牲になっている状況には強く胸が痛みます。
世界で一番いのちの短い国リベリアの内戦のニュースを読んでいる最中、10年以上内戦が続き、平均寿命が35才に満たず、5才になるまでに子どもの約3分の1が死んでしまうシエラレオネでNGO「国境なき医師団」のスタッフとして半年間派遣された著者の体験記が届きました。

1990年代前半、妻の国マリの北部でも内戦がありました。
リベリアのニュースを聞き、シエラレオネの本を読み、多くの友人がなくなったあの5年間の事を思い出しました。

市民が、「普通の暮らし」ができる日が早く訪れますように。
(2003.7.30改)

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コメント(5)

ユニセフのリベリア支援の本文にある「14年もの内戦が続き、締結した」と読んで、なぜ締結に至ったかをしらべている最中です。内戦が締結しても、そこからどうやって立ち上がるのか、治安がよくならなければ二次内戦も考えられると思います。結局は政府と武装勢力が強いものとに未来は委ねられるのでしょうか。早く教育が普及して、また平和の思想が普及して二度と戦争が起きないように願うだけです。

なんだか争いが多くて・・・ 悲しいです。
争いが争いを呼ぶというような悪循環すぎるサイクルが最近多いですよね。
簡単ではないにしろ、純粋な子供たちが正しい教育を受けて二度と紛争が起こらないよう、まずは大人から変わらなくてはならないんだと重います。
一日も早く、平和が来ますように・・・・

Sierra Leonenは、ダイヤモンドの産地として資源に恵まれているにも関らず、その資源が原因で紛争地となり、悲惨な状況である。アフリカのZambiaを研究しているが、同じアフリカでも、世界で最も寿命が短い国のシアレオネの状況を知り、痛感している。国益が平等に所得配当出来る状況に早くなれるように、先進国の努力も必要である。

今日テレビでシエラレオネの少年兵などの映画の一部「フリータウンへの帰還」?を見た。信じられなかった。悲しいというより胸が苦しい。なぜアメリカは美気を売っておいて、子供たちを誘拐して慰安婦や戦闘道具とされている事を黙認しているのか。まだ助けの手の届かない子供たちにどうやったらなにかして上げられるのだろうか、知ってたらおしえてください。

> なぜアメリカは武器を売っておいて、子供たちを誘拐して慰安婦や戦闘道具とされている事を黙認しているのか。

イスラエルへの対応をみても、アメリカは決して「世界の警察」ではありませんね。
国益と大統領の権力維持のために軍事力を行使し、それに大義名分をつけているだけに思えます。

> まだ助けの手の届かない子供たちにどうやったらなにかして上げられるのだろうか、知ってたらおしえてください。

遠くからできることは限られますね。
例えば、シエラレオネで活動しているNGOを探してみられるてはいかがでしょうか。
ただし、広報と実際の活動がどこまで一致しているか、判断するのが難しいですね。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年7月23日 23:39に書いたブログ記事です。

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