日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

終戦の日に

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1990年代前半、セネガルにいた頃、マリの内戦が厳しくなっていました。
学生をやめて反乱軍に入った友人がいました。政府に反することをしたわけでなく、普通に暮らしていただけで、ただ民族の違いから殺された友人が何人もいました。
ダカールには、難民化した人たちも、欧米諸国や国連関係者との対話のために反乱軍のリーダーたちが入れ替わりやって来ました。
戦争を逃れてきた人たち、反乱軍の友人からのメッセージ、反乱軍のリーダーたちから、いろいろな話を聞きました。
そんな中で私に向けられた今も忘れられない言葉があります。

「あなたは武器をとらなくていい。でも私たちの姉妹の夫として、その子の父として、そして日本人という、政府側でも反政府側でも旧宗主国側でもないニュートラルな立場だからこそ、あなたにできることがあるはずだ」

しかし、あの時できたことは、妻と共に会議に出たり、難民化した人たちを自宅で受け入れて自立や国へ帰る手伝いをすることくらいでした。
もっとできることはなかったのか、と思います。

これから何ができるでしょうか。
新しい戦争が起きないように。
日本人として、アフリカ人の伴侶として。

あの言葉を忘れずにいたいと思います。

折鶴と少女

折り鶴と広島の像の元になった貞子さんの物語が絵とともにあります。
娘が帰ってきたら、この話を読んで聞かせてあげたいと思っています。

「わあ、冷たくて、気持ちいい」 がまの中を流れる水 この冷たさは いつからだろう 何年も前から わたしたちを いやしてくれた 戦いの間も 同じように流れていたのか きっと この冷たい水音を だれも聞かなかった だれも川の水のかがやきに気づかなかった 川の水だって聞きたくなかった いつも見守っていた人間の ばくげきで流れる血の音なんて 鉄ぽうでうたれて苦しむ声なんて でも 川の水は聞いてきた 「わあ、まぶしくて、あたたかい」 がまから出てながめた夏の太陽 このまぶしさは いつからだろう 何年も前から わたしたちを てらしてくれた 戦争の間も 同じようにかがやいていたのか きっと 太陽なんて だれも見なかった だれもこのまぶしさに気づかなかった 太陽だって見たくなかった いつも見守っていた人間が おたがいを殺し合うところなんて 弱い者をいためつけるところなんて でも太陽は見て来た 川の水よ 今 争いに苦しんでいる所に流れ 冷たい水をのませてほしい 元気のない子に ミルクがなくて泣いてる子に 平和をのぞんでいる人達に 太陽よ 今、戦争をしている所にのぼり まぶしく照らしてあげてほしい 親をなくした子を ケガをしている子を 戦争から立ちなおろうとしてる人達を 川の水よ 太陽よ 世界中の人に 約束させてほしい もう 戦争はしないと もう 人を殺さないと 未来に平和を 作ること

引用元:川の水よ 太陽よ

2003年度「児童・生徒の平和メッセージ」小学校の詩部門で最優秀賞に輝いた読谷小5年の知花かおりさんの詩です。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年8月15日 23:39に書いたブログ記事です。

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