日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

同化しない生き方

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今の子たちには、ジーンズも化粧もピアスもファッションでしかない。自分自身を表現するんじゃなくて、周りと同化するためにおしゃれをしている。少し前まで自己を確立した大人の世界に属していたもの、そしてそんな大人の中でも強い自我を持つ人にしか許されなかったものが、その主義やスタンスはスポイルされてどんどん子供の世界に入っていく。そこに意味はない。あるのは同化と、そこからくる空虚さ。

引用元:cosi cosi:空虚な、タナトス。

サヘルの遊牧民の暮らしを考えてみると、ひとりひとりが多様性を持ちつつ集団に属するという点が、日本とは大きく違うなと、上記の書評を読みながら思いました。

サヘル(の遊牧民)の暮らしでは、自分の属する集団をしっかり認識している必要があります。
それからそこにおける自分の役割も。
人間がひとりで生きていけない厳しい環境にあるからこそ、集団として生き延びるシステムがしっかりと作られています。
だからさまざまな「しきたり」があります。

けれどもそれは、すべての人を均質化させる方向に働くシステムではありません。
均質化は、ひとり転けるとほかも一斉にこけてしまう共倒れの可能性があります。
それは、自然環境のいろいろな変数において変化の振幅の激しく、かつ予想がつけにくいサヘルでは危険が高すぎます。
だからひとりひとりの自分らしさの上に立つ多様性が求められます。

たったひとりの自分を認識した上で集団に属することは、緊張感が伴います。
生きていく上での選択において、自分自身の判断にしっかりと責任を持つことでもあります。
誰からこうしたからと従ったと、他人のせいには決してできません。
でも、そんな緊張感が私は大好きでした。
そこにこそ、自分の力で生きている実感がありました。

日本でもそんな風に暮らしたいんですが・・・

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サヘルの風 同化しない生き方、cosi cosi蛇にピアス、cosi cosi蹴りたい背中はもっとしっかり蹴ったほうがいいと思わない?で気になっていたんだが、飲み仲間のじいさんが文藝春秋の2月?... 続きを読む

コメント(2)

>>たったひとりの自分を認識した上で集団に属することは、緊張感が伴います。

おっしゃっていること、とてもよく分かります。
私にとってそれは「日本人であることを認識しながら、部族社会の中でのしきたりに従って生きる」こと。

私は今でもそんな緊張感の中で暮らしていて、そしてそれはとても贅沢なことだと思っています。

ただ、周囲にいる他国出身のアラブ人たちにはそういう意識が薄いようで、部族を最優先させる私の行動は理解できないようです。

まさか私の文章が引用されるとは思ってもみませんでした。なんだか、うれしかったです。ありがとうございます。

このエントリーを読んで、思ったことをまたつらつらと書いてみました。ほんと、ことばがうまく使えなくて、なかなか言いたいことが半分も伝えられないのですが、よろしかったらまたのぞいてください、私のblog。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年2月21日 11:18に書いたブログ記事です。

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