日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

息子を迎えにパリへ

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マリの中学校に通っている息子が、日本に来ています。
おにいちゃんが大好きな娘は大喜び。

息子が小さい時、複数の言語で話しかけていたら、どの言葉で返事したらいいか混乱してしまったようで言葉が出なくなりました。
そこで、まわりの環境(当時、セネガルにいました)を考えて、息子に話しかける言葉をフランス語だけにしました。
そんな経緯があったので、教育もひとつの言葉にしてあげた方がいいだろうと、ずっとフランス語で教育を受けてさせています。
というわけで、息子はマリで中学校に行っています。

さて、一昨年と昨年の夏は、妻と娘が、息子のいるマリで一ヶ月過ごしましたが、今年は、息子を日本に招きました。
日本の仕事では1ヶ月の休暇など取れず、息子に日本に来てもらえないと、彼とじっくり過ごすことができませんから。

マリには日本大使館がありません。
在セネガル日本国大使館に連絡し、ビザ取得のために招聘用の書類をいろいろ準備し、息子に持たせました(領事にはお世話になりました。ありがとうございました)。
そして、彼の叔父(私にとって義弟)に、セネガルまで息子を連れて行ってもらい、日本のビザを取得しました。

実際の旅行については、年齢的にはひとりで日本まで来られるでしょうが、日本の入管が心配でした。
以前、別の叔父さんに日本まで連れてきてもらった時に、なかなか入れてもらえず困った経験があったからです。
そこで、私のヨーロッパ出張を息子のパリでのトランジットに合わせ、パリ空港内で彼と合流し、同じ便で日本まで来ることにしました。

息子の到着は06:40。日本への便は13:35。
国際便のチェックインはふつうは2時間前ですので、11:30頃空港に行けばいいわけですが、ひとり空港内で待っている息子が心細いだろうし、私も早く会いたいと早めにパリを出て、9:00過ぎには空港に着きました。
しかし、案の定その時間にはチェックインはまだ始まっておらず、しばらく待ち、10:00過ぎにようやくチェックイン。

パスポートコントロールと手荷物検査を急いで終えて、いそいそ、どきどき、待ち合わせの出発ゲートに行ってみると息子の姿がありません。
マリからのエールフランス便はシャルルドゴール空港のターミナル2C着です。
同じエールフランスの日本便はターミナル2F発。
待ち合わせは、この2Fの日本便出発ゲートにしていました。
そのあたりを何度も探しても見つからないので、エールフランスの職員に、状況を問い合わせてみました。
「マリからの便は予定通り着いています。息子さんは日本便の搭乗券を受け取っています。だから空港内にはいるはずです。しかし、安全管理上アナウンスはできません」とのことでした。

ターミナルFは、大陸間国際線とイギリスやシェンゲン内のふたつの部分があります。
双方を何度も歩いて確認してみました。
2Cに残っている可能性もあるかと、バスでターミナル2Cに行き、こちらもさんざん探し回りました。
しかし、見つかりません。

搭乗時間は11:50。
次第にその時刻が迫ってきます。
ターミナル2Fに戻り、もう一度探し、職員に問い合わせてみましたが、やはり息子は見つかりません。
もし間に合わなければ、フライトをキャンセルして、パリに残って探す決心をしました。
日本にいる妻にもその旨伝えました。

妻は、私からの連絡を受けると、マリの家族に電話して、パリまで同伴を依頼した旅客のフランスでの連絡先を探したり、息子が見つかるように、マリの実家で羊を供犠にしてもらい、祈っていたそうです。

11:40頃、旅客たちが、ゲート前に長い列をつくり始めました。
パリに残る覚悟を決めました。
すると、長い列の後の方に、警官二人と歩いてくる息子の姿が見えました。

駆け寄って、息子をしっかりと抱きしめました。
アジア人顔の私が、日焼けしたアラブ人顔の少年を抱きしめていると、日本人の旅客たちから好奇の目が注がれました。
しかし、そんなことは関係なく、というかそういう衆目を集めていることも楽しみながら、息子を炊きしてました。
とにかくあえた喜びから、それがその瞬間に一番したい、してあげたい行動でした。

自分の肩くらいの上背の印象しかなかった息子は、私より大きくなっていました。

出発直前に警官ふたりに挟まれるようにしてやって来たので、連行されてきたのかとも思いました。
しかし、息子に後から聞いてみるとそうではありませんでした。
彼は到着したターミナル2Cから予定通り2Fへのバスに乗りました。
しかし、バスを降りたところに椅子があったので、そこが待ち合わせ場所と思い、ずっとそこにいたそうです。
他の乗客は皆、免税品店や搭乗ゲートのある上の階に移動しても、ひとりそこに残っていたら、警官が来て、警官の詰め所に連れて行かれ、事情を説明すると49Fまで連れてきてくれたとのこと。

警官に「空港中、息子を捜していたんですよ」というと、「真っ先に飛行機に乗せてあげましょう」とのこと。
それは、もしかすると逃げていかないか心配して、飛行機に乗せてしまえば安心という気持ちからのことだったのかも知れませんが、お礼を言って飛行機に乗り込みました。

そんなハプニングがありましたが、無事に息子と日本に戻って来れました。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年7月12日 22:31に書いたブログ記事です。

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