日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

息子の見送り

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息子の見送り(と仕事)のため、パリに来ています。

夏休みを日本で過ごした息子が日本を離れるフライトは9月8日。
しかし、それに合わせるように日本に近づく台風18号。
台風18号は、強い勢力のまま時速10kmと、とてもゆっくり動いていました。
台風が関西・東海地方に近づくのは、7日なのか、旅行当日の8日なのか、あるいはその後なのか、まったくわかりませんでした。
そこで、ゆとりを持った旅程を組むことにしました。

普通なら、当日の始発列車に乗ればパリ行きの便に間に合うように関西空港に着けます。
しかし、フライトは予定通りで、途中で新幹線が止まってしまったら大変です。
空港のホテルを予約し、前日9月7日に仕事が終わった頃家を出ることにしました。
しかし9月7日、九州に上陸した台風は急に速度を速めました。
関西地方に近づくのは、夕方頃からになりそうなので、仕事が終わってから家を出たのでは、新幹線が止まって空港に着けない可能性が強くなってきました。
そこで予定を早めて昼過ぎに家を出ました。
新大阪止まりになっていた新幹線で、2時半頃新大阪までなんとか辿り着けたました。
ところが、新大阪で、既に関西空港への連絡橋は通行止、電車も車も空港へ行けないとのアナウンス。

急遽、空港近くの別のホテルを探すことにしました。
しかし、りんくうタウン駅前のホテルはふたつとも満室でした。
そこで、持っていたパソコンの ProAtlasX という地図ソフトで、泉佐野周辺のホテルをリストアップしました。
そして、リストアップしたホテルの電話番号を調べるために104に電話しました。
104もなかなか繋がらず、何度も掛けてようやく電話番号を調べることができました。

後から、こういう時は i-mode を使えばよかったのか、と考えました。
i-mode を使い慣れていないので、緊急時にはその利用が思い浮かびませんでした。
地図ソフトを使うという発想は、普段パソコンや地図ソフトをよく使っているから出てきたのでしょう。
普段慣れ親しんでいることが緊急時に役に立つ、逆に言えば、緊急時の対策は普段から繰り返してやっておくべきだと、改めて思いました。

さて、電話をかけてみると、どのホテルも満室。
何件も電話して、ようやく空室のあるホテルを見つけました。
台風で、日根野行きの急行に変更になった「はるか」で日根野まで移動。
車両はガラガラでした。
日根野に4時半頃に着くと、雨は小雨程度ですが、すごい風が吹いていました。
ホテルが決まるまでは心配そうだった息子も、ホテルが決まった後はそんな強風も楽しんでいました。

着いたホテル(ホテル中町ガーデンパレス)は温泉でした。
ハプニングはありましたが、息子は最後に、日本の名物(?)、台風と温泉、それにその前には大きな地震も、体験できたわけで、これはこれでよかったんだろうな、と思うことにしました。

翌日は台風一過の快晴。
フライトは予定通り。
ただ、このJAL便(JL425)、フランス語のわかるアテンダントがエコノミーにいなかったり、ドイツ語の雑誌ばかりでフランス語の雑誌がなかったり、パリ便とは思えない内容でした。
そのため、息子はちょっと居心地が悪かったようで残念でした。

11時間半の長旅の後、パリ着。
シャルルドゴール空港には、パリ在住の義兄(妻の妹の旦那)が車で迎えに来てくれていました。

トランジットの場合、滞在時間が24時間以内なら、荷物を経由地でおろさず目的地まで運んでもらえます。
今回の息子の日程はというと、パリに16:00着、翌日16:40発。
つまり滞在時間が24時間を40分超過。このわずか40分のために荷物をスルーにできませんでした。
そこで、スーツケースを車に積んで、義兄夫婦宅へ。
義妹も、背が高くなった息子を見て、びっくりしていました。

夕食は、義妹のおいしいをクスクスごちそうになりました。
翌日の午前中、私はのんびり、息子は床屋に行き頭をさっぱり。
お昼には、チェブヤップ(セネガル料理)をごちそうになりました。
息子との最後の時間をとても楽しく過ごすことができました。

この日も、義兄が時間をとってくれ、彼の車でシャルルドゴール空港へ。
チェックインをすませた後、パスポートコントロールの手前で、同じバマコ行きの人を探しました。
スイス人の男性に、出発ゲートまで息子と同伴してくださいと頼むことができました。

パスポートコントロールと荷物チェックをすませた息子を見送り、パリに帰ってきました。
パリ滞在の目的を、ひとつ無事にこなせてホッとしました。

明日は仕事。
気分を一新して、仕事に臨みます。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年9月 9日 20:46に書いたブログ記事です。

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