日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

トゥアレグの食文化

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名古屋大学で行われた日本沙漠学会の沙漠誌分科会で発表させていただきました。

第5回日本沙漠学会沙漠誌分科会 テーマ:アフリカ乾燥地帯の食文化

他の発表者の方とそのタイトルは以下の通りでした。

石山俊(名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程)
「サハラ南縁地域の家庭における料理用薪消費量の考察」
浅野史代(名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程)
「生活の中のソルガム酒−ブルキナファソ、ザブレ市の事例から−」

私は、
「マリ北西部トンブクトゥ地方のトゥアレグの食文化〜食における自然環境への対応とイスラムの影響〜」
というタイトルで発表させていただきました。

私の発表内容は以下の通りです。

1.不安定な自然環境から、農・畜産物の計画的生産が困難なサヘル地域で、人々はそんな状況にどう対応しているか。

まず移動と変化というキーワードで

  1. リスクの軽減のための移動と変化
    • 生活場所
    • 家族構成
    • 農産物と家畜構成
  2. 少ない資源の中での多様性
    • 主食材
    • 調理方法

などについて話しました。
これが今回の発表の中心部分でした。
しかし、1時間ほど時間をいただいたので、欲張ってあとふたつのテーマについても発表させていただきました。

2.非常に限られた食物資源の中でも、社会的規制などによって食べないもの、好まれないものがある。それは何か。なぜか。

2番目に、イスラムの影響と彼ら固有のものについて考えてみました。
そして最後に

3.諺における食、その所記(シニフィアン)について

この部分については、消化不良(食の話だから?>おい)、考察不足を承知の上で、いろいろな諺における食物や食べるという行為の意味するところについて述べました。

発表後、たくさん質問をいただき、自分の中では意識しなかった点をたくさん指摘していただきました。
トゥアレグにとって、「食べる」という行為はどういう意味を持つのか、さらに考えていきたいと思います。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年10月23日 23:13に書いたブログ記事です。

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