日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

断食と優太君

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ラマダーン(断食の月)で断食中です。
日の出の1時間半ほど前から日没まで、水と食事を口にしません。
今だと朝4時過ぎから夕方5時過ぎ頃までです。
喫煙や肉体関係もだめ。
さらに、欲望を押え、人の誹謗や悪口をやめ、良いことをするのは、いつでも望ましいことですが、ラマダーン中は特にそうすべきだとされています。
腹が減っても怒りっぽくなってはだめなわけですね。

断食については、昨年も書きましたが、太陰暦ベースで、毎年10日ほどずつ早く始まります。
ですから、断食の月が、夏になったり冬になったりします。

一番きつかったのは、1980年代後半、マリにいた時。
サヘルが一番暑い4〜5月頃で、日中の気温は摂氏45℃を超えることもあります。
湿度がとても低いので、何も口にしないで炎天下で仕事をしていると、のどが渇きすぎて、頭が痛くなり、吐き気がしました。

日本での断食は、のどの渇きはそれほど気になりません。
でも、昼間長いので空腹感を感じます。
夕方になると、元気がでなくてダラダラしてしまいます。

さて、新潟県中越地震で奇跡の生還を遂げた優太君。
その空腹、寒さ、孤独感はどれほどのものだったか。
彼の過ごした4日間からは、断食のつらさなんて比べものになりませんね。
「あ〜、腹が減ったなあ。早く日没にならないかなあ」
と考えているのが恥ずかしくなりました。

スタッフに「車が壊れて困った。なおして」と頼み、「お母さんいつくる?」「お母さん、病院で死んじゃったの?」と繰り返し問いかけたという。

2歳の優太君に、お母さんやお姉さんの死が認識できるだろうか、と考えていましたが、彼なりに死というものを考えているようですね。

妻は、優太君に、とりあえず、「お母さんは遠くに行っているの」と言っておくのがいいだろうと言います。
しかし、それはそれで、「どうして僕を置いて?」という疑問と不安を抱かせそうな気もします。
わからなくても、母と姉の死というものを説明してあげたほうがいいのでしょうか。
いや、それは彼のトラウマを深めるのでやめたほうがいいのでしょうか。
専門家の方の意見が聞きたいです。

ニュースで優太君が救い出されるシーンを見た時、
「優太君、すごく頑張ったね。えらいね!」
と心の中で声をかけていました。
「頑張れ」というのは、使いたくない、使わないようにしている言葉です。
誰だって言われなくても頑張っているでしょうから。
でも、彼の生還には、心から何回も「頑張ったね」という言葉をかけてあげたいと思いました。

最後になりましたが、優太君のお母さんとお姉さん、そして今回の地震で亡くなられた方たちには、お悔やみ申し上げます。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年10月30日 06:04に書いたブログ記事です。

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