日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

息子の出発

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午後5時過ぎに飛行場へ。
最後まで、心配は尽きない状況なのだが、とにかく出発したようだ。

回転寿司で最後の日本料理。
息子はマグロの握りをたくさん食べていた。
私も寿司は好きだが、さすがに今日はのどを通らない。

息子に、パスポートとチケットを入れるウェストベルトを買う。
午後7時にチェックインカウンター前へ。
愛知万博で来日していたベニンのミュージシャンたちがいた。
どういう行程で帰るのかたずねてみる。
夜10時パリの乗り継ぎ便でリーブルビル経由で帰るという。
アフリカ方面ならシャルルドゴール空港で同じターミナル2Eだ。
そこで、息子の同伴を依頼。
快く引き受けてくださった。

チェックインまで並んでいる途中で、知り合いの研究者の女性に偶然に再開。
不幸があって一時帰国していたが、調査再開にニジェールに向かうところだという。
彼女は、ブルキナファソのワガドゥグで、私たちの家に何日か泊まっていたこともある。
彼女にも、シャルルドゴール空港でのサポートを依頼。
これでシャルルドゴール空港では何とか乗り継げるだろう。
少し心配が減る。

しかしチェックインで、スーツケースの重さが26kgあるので2kgおまけするが4kg分は追加料金を払う必要があるといわれる。
昨日手続きしていたときには何も言われなかったのに・・・
おねえさん、きびしいですね。
仕方ない。
Flying Blue(エールフランスのマイレッジカード、旧Frequence plus)6,000マイルで支払い。
このエスセス料金のパリ-バマコ分の領収書の発行が遅れるということで、とりあえず成田-パリのボーディングパスだけ受け取り、パリ-バマコのボーディングパスとエクセス分の領収書は、搭乗口で息子に手渡すといわれる。

これが妻の大きな心配の元になってしまった。
本当にちゃんとパリ-バマコのボーディングパスを搭乗前に渡してもらえるだろうかとホテルに帰っても心配し続けていた。
妻は、自分や息子の経験から、フランス経由の旅行にトラウマがある。
その心配がわかるので、慰めてやりたいがどうしようもない。
明日できるだけ早く、エールフランスにちゃんとボーディングパスが息子の手に渡ったか確認の電話をしてみよう。
明確な回答をいただけるかどうかわからないけれども・・・

いよいよ息子との別れ。
なんとか妻も涙を見せずに見送った。
息子は笑顔で手を振りながら去っていった。
空港からホテルまでのバスに乗る妻の足取りの重いこと。
ホテルについても、妻は寝られないようだ。
マリから、息子の到着の電話が、妻への何よりの励ましだろう。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年9月26日 21:59に書いたブログ記事です。

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